第十三話 トナカイ狩り
どこまでも広がる真白の雪原をトナカイと共に走る。
本日は運が悪い事に向かい風。前方より吹き付ける風は刃物のような鋭さを突きつけて来る。
先ほどから
村にやって来た商人が途中で見かけたと教えてくれたので、こうして狩りに来た訳である。
離れた場所を走るトナカイは三頭。こちらを警戒しつつ、雪原を駆けている。
橇を引くトナカイに速度を上げるように指示を出した。どんどんと加速をして、ついに野生のトナカイと並走状態となる。
橇に座った状態で手にしていた銃を構え、トナカイの頭部を狙う。
しかしながら、寒さで手元が狂い、上手く感覚が掴めない。
銃口を支える手はガタガタと震え、引き金に掛けている指先も力が入らなくなっていた。
ぶれないように銃身を強く体に押し付け、標的を一心に見つめて集中をする。
一発目、トナカイの背中を弾が通過した。
思わず舌打ちをしつつ、遊底を手前に引いて空薬莢を外に蹴り出してから前に押し戻す。
野生のトナカイはこちらの発砲した銃声に驚き、走る速度を上げ始める。
依然として並走を続けていたが、銃を向けた先はすでにトナカイの腹の位置になっていた。
再び銃を構える。狙う先は心臓だ。
一回目よりも集中しているように思えたが、二発目は見当違いの方向へと流れて行った。
ヤケクソで撃った三発目は何も無い場所を走り抜ける。
野生のトナカイは自分達を追い越し、全力疾走で逃げ去っていた。
「くっそ!」
自慢のトナカイの足はかなり速いと自負していたが、野生の生き物の体力と脚力には負けてしまう。
だからと言って一気に狙い撃とうと近づけば、警戒心の強いトナカイ達は初めから全力で逃げるという事に加え、こちらに突進してくる個体が居ないとも言い切れない。
そろそろ
「!?」
滑走を促す底の板が岩のような氷を踏みつけた反動で橇は浮き上がり、固定されていない体が外に投げ出された。
咄嗟に銃を雪の積もった地面に向かって放り投げたまでは良かったが、肝心の自分の体は受身を取れずにごろごろと転がっていく。
最悪な事に積もっている雪は僅かなもので、跳ね回りながら表面を削れば肌に触れるのは冷たく硬い氷の大地であった。
転がっていく勢いも無くなり、雪原に寝転がる状態となる。
賢いトナカイは指示を出さなくてもその場に止まっていた。
獲物を撃ち取ることも出来なかったし、橇から投げ出されて体も痛い。気分は最悪だと、悪態を吐きながら拳で地面を叩く。
「リツハルドーー!!」
遠くからジークの叫び声が聞こえた。
大丈夫だと知らせる為にその場で大きく手を振る。
まだ打ちつけた背中に痛みがあったものの、地面に伏せた状態では心配を掛けてしまうと思ったので、のろのろと起き上がった。
ジークは犬四頭が引く橇に乗っており、こちらへ近づくと止まる前に橇から飛び出す。
勢いがあったからか地面を一度だけ転がり、綺麗な受身を見せた後でこちらへと駆けて来た。
そんな奥様を座った状態で迎える。
「大丈夫か!?」
「うん、平気」
「顔から血が出ている」
「え、本当?」
先ほどから顔が痛むのは吹き付ける風のせいと思っていたが、地面を転がるうちに顔面を切っていたらしい。
ジークは上着のポケットの中から小さな布袋を取り出し、中から脱脂綿を取り出して顔に付着した血を拭ってくれる。
応急処置として切った頬に柔らかな布を当て、医療用のテープで外れないように貼り付けてくれた。
「今日はもう帰ろう」
「……」
ジークの提案に渋ってしまう。
今日は何も獲物を取っていない。手ぶらで帰るのは何だか不安になる。
「こういう日もある」
「う~ん」
「言う事を聞け!」
「……はい」
強めに言われたので今日は渋々と家に帰る事にした。
◇◇◇
家に帰ってからも、もやもやとした気分を引き摺ったままだった。
この時季は成果を出そうと焦ってしまい、どうにも調子が出ない。
何故このような状態となっているのかといえば、もうすぐ太陽が昇らない日々が訪れる為である。
この期間は約二ヶ月間と言われているが、去年は七十二日間太陽が空に出なかった。一昨年は五十七日間、その前の年は四十日間と年によってバラバラだ。
この太陽が地平線に上がらない現象を極夜と呼んでいた。
極夜の時季になれば、一日中薄暗いという毎日が続き、狩りも出来なくなる。
頼りになるのは外から食べ物を売りに来る商人と、明るい時季に貯めていた食料だ。
なので、極夜を前にした村人達は荒ぶった状態で食料の確保に忙しい毎日を送る。
それは自分も例外ではなく、今年も上手くいかない狩りを目の当たりにして落ち着かない時間を過ごしていた。
銃の手入れをしていると、ぽつりとジークが呟く。
「野生のトナカイを追うのは止めないか?」
「へ?」
トナカイを追いに行ったのは今日が初めて。明日辺りには大規模な野生のトナカイの移動も終わり、この辺からは居なくなってしまうだろうことは予測していた。明日で最後だと思っていた折に、ジークのこの発言である。
「どうして?」
「橇に乗っての狩猟は危険だ」
「いや、大丈夫だって。あのやり方で十年、一人でやっていたし。転んだのも今日が初めてじゃないよ」
「……」
野生のトナカイ狩りは雪の下にある地衣類を求めて移動して来る、年に一度の機会しかない。
毎年挑戦をしていたが、トナカイを撃ち取ったことは一度も無いという無残な結果で終わっていた。
この狩猟は祖父が得意としていた。
自らのトナカイを思うがままに操り、銃で頭を狙って一撃で仕留めるというのを幼い頃に何度も目にしていたのだ。
祖父が亡くなってからは父親とトナカイ猟に出かけたが、父も橇の上からトナカイを撃つことは一度も無かった。
祖父は銃の名手で、簡単に出来る芸当ではないと言っていたのだ。
しかしながら、撃ち取った瞬間を記憶しているので、自分にも出来るのではないかと、無謀なことに思ってしまう。
それに加えて野生のトナカイはかなり美味しい。
餌を求めて移動する習性のあるトナカイは、その圧倒的な運動量によって身が引き締まっており、旨味の凝縮された歯ごたえと、豊かな森にある食料を摂って得た味の深みは、村で育てたトナカイには無い味わいであった。
一般的に動き回って仕留めた獲物は肉の質が落ちると言われているが、野性のトナカイは追いかけてでも仕留めたい肉なのだ。
野性のトナカイ肉について熱く語ったが、ジークは興味がありませんとばかりに無表情だ。
何も得ることが出来なかったのが気に食わなかったのか。だんだんと目付きも険しくなる。
「明日が最後だから」
「命を懸ける程のものなのか?」
「いや、それはどうだろう」
「……」
地道に森で鳥や兎を狩った方がいいのかもしれない。今年からはジークが居る。我儘を言っている場合ではないのかもしれないと思っていたが、腕を組んでこちらを睨みつけていた奥様が思いがけない言葉を発する。
「どうしても、というのなら」
「?」
「私の助言を聞いて貰おうか」
「え!?」
「銃の使い方についてだ」
「!!」
ジークの言葉を聞き、椅子の背もたれにだらりと体を預けていた体勢から一気に姿勢を正す。
「え、なになに!? 秘策があるの!? 教えて!!」
「!?」
怖い顔で睨みつけていたジークの表情が、意外そうな顔となる。
「どうしたの?」
「……いや、予想外の反応だと思って」
「?」
「今までの経験の中で、男は女に指図や助言をされるのを嫌う生き物だと認識していた」
「そうだったんだ。俺はジークの指図とか助言とか、あったらいつでも聞きたいと思うけれど」
「……」
何でもいいから早く聞かせてくれと請えば、ジークは銃器の使い方について指摘して来た。持ち方から構え方まで、今自分がしているものだと獲物に当たる訳が無いと教えてくれた。
普段の射撃は獲物がどういう風に動くのか経験上理解していて、そこを狙い撃つだけであったが、橇に乗った状態での銃の扱いは未知の領域であった。
ジークは馬上の狙撃訓練も受けていたので、正しい撃ち方を知っていた。
弾を撃ってから獲物までの到着時間の目測の方法や、弾の軌道と風を読む技術、弾道放物線を知るということ。様々な知識を彼女は有していたのだ。
「……とまあ、技術的にはこのような物があるが、互いに移動をしている状態での狙撃はかなり難しい」
「やっぱり」
「撃つ時も並走しながらではなく、標的の移動を計算に入れて、移動方向の先を狙うのだ」
「それが難しいんだよねえ」
ジークの話を聞きながら、今の技量では頭に命中させる事など出来ないと判断をする。
頭ばかり狙っていた訳は、単に捌くときに弾の摘出が面倒だからという理由があったのだ。
「ねえ、明日、ジークも協力してくれる?」
「私が狙い打つのか?」
「いや、それは駄目」
手放しでの橇の走行は危険だ。ジークにさせる訳がない。
「作戦を考えたんだけど、嫌だったら断わって」
ふと思いついた作戦をジークに話す。
駄目もとでの提案であったが、彼女は了承をしてくれた。
◇◇◇
翌日。
晴天の中で二回目のトナカイ狩りが始まる。
今日も移動をしている野生のトナカイはすぐに見つかった。逃げられないようにそろそろと近づき、銃の射程距離に入ったら速度を速める。
少し離れた位置には犬橇を操るジークが居た。
今回の作戦では重要な役割を担っているのだ。
トナカイを最初から飛ばし、野生のトナカイを追い越す。
そして、昨日ジークに教わった事を生かして、銃口をトナカイが走る先へと向けた。
一発目を撃つ為に引き金に力を込める。
弾は角の上を通過して行った。
焦ってはいけない。まだ自分のトナカイにも元気がある。
二発目。今度は違うトナカイに照準を合わせる。
震える手で引き金を引いた。
弾はトナカイの腿の位置に命中をした。
被弾したことによって体の均衡を崩したトナカイは地面へと倒れこんでしまう。
橇を止めてから飛び降り、野生のトナカイに向かって走る。追走していたジークも後に続いていた。
地面でのたうち回るトナカイの角を掴んで転がし、苦労の末に腹を上にした状態にして押さえ込む。
「ジーク!!」
ジークに合図を送れば、彼女は頭の上から振り上げていた大振りのナイフを、トナカイの心臓目掛けて深く突き刺した。
その瞬間にトナカイの周囲から退避を行う。
しばらくするとぐったりと動かなくなり、完全に息絶えた状態となった。
「――!!」
込み上げてくるのは言葉に出来ない歓喜。
「ジーク、やった!」
喜びのあまりジークに駆け寄って手を握り、頬に感謝の口付けをする。
そのまま体も抱き締めたかったが、トナカイにナイフが刺さったままなので、一旦離れて後処理をすることにした。
このようにして、野生のトナカイの狩りは終了となる。