清き乙女を守る騎士
最終章のあとのエピソードになりますので、そちらを先に読んでいただけますと幸いですm(__)m
「ああ……可愛いなあ……」
領主一家の長子アルノーを胸に抱き、幸せそうに呟くエメリヒ。
アルノーは二歳になっていた。まだまだ可愛い盛りである。
「っていうか、子どもは永遠に可愛い生き物だよなあ……」
呑気に呟くエメリヒ。
今は休憩時間で、『紅蓮の鷲』亭の前にある木箱に座り、休んでいた。
子ども好きのエメリヒにとって、アルノーと過ごす時間は至福の瞬間である。ゆらゆらと体を揺らせば、きゃっきゃと喜んでいた。
「それにしても、子どもなのにカッコイイな~~、アルノー君」
母、ジークリンデに似た男前の顔を眺めながら高い高いをしていれば、土産屋のおかみが通りかかり、声を掛ける。
「おや、どこの男前かと思えば、ベルグホルムさんのところの旦那様じゃないかい」
「あ、どうも」
「で、こっちは領主様の」
「アルノー君です」
しばし、二人して緩み切った顔でアルノーを覗き込む。
「ベルグホルムさんところも、楽しみだねえ」
「え?」
「子ども!」
「あ、はい……」
エメリヒは急に涙目になり、そっと呟く。
「精霊様次第、ですよね」
「はい?」
ここで、休憩時間が終わったのか、会釈をして店の中へと戻って行った。
おかみは首を傾げ、パタンと店の扉が閉まる様子を眺めていた。
◇◇◇
「――ということがあって」
おかみは先日のやりとりをジークリンデに相談していた。
「あの夫婦、上手くいっていないんじゃないかね?」
「い、いえ、大丈夫です」
言えなかった。いまだに二人は夜を共にしていないと。さらに、アイナは村の伝承を信じていて、子どもは精霊が連れて来てくれると思い込んでいると。
このままではいけない。アイナとエメリヒ。双方が可哀想だと思った。
ジークリンデは腹を括る。自分がアイナに教えるしかないと。
思い立ったら行動は早かった。
店で豚肉の塊を買い、アイナとエメリヒの家まで向かう。
今日、エメリヒはリツハルドと共に、トナカイの柵の修理に行っているのだ。邪魔者はいない。
赤い屋根の家の扉を叩く。すると、すぐにアイナが顔を出した。
「あら、ジークリンデさん。どうかしましたか?」
「少し、相談事があって。今、時間は大丈夫か?」
「相談ですか? はい、問題ありません。とりあえず、中へどうぞ」
ジークリンデは新婚夫婦の家の中へと足を踏み入れる。
相変わらず、可愛らしい家だった。
アイナ自慢の刺繍の入った布製品が、家の中を華やかに彩っている。
机の上にはビスケットが置かれ、香り高い紅茶を用意してくれた。
「これ、ジークリンデさんの国で買った紅茶なの。私が美味しいって言ったら、エメリヒが何十個も買ってきて」
馬鹿の一つ覚えかと思ったが、ジークリンデは口には出さず、ぎこちない笑みを浮かべていた。
アイナが長椅子に腰かければ、愛猫のロッサがやって来て、膝に丸まった。かなり甘えん坊な猫だとジークリンデは思う。
「それで、相談とは?」
「ああ、そうだな……」
ジークリンデは渋い表情を浮かべる。
すうと息を吸い込み、話を始めた。
「実は、村の伝承の真実について、話をしにきた」
「伝承って?」
「その、精霊が子どもを連れてくる云々の」
「ああ」
アイナは話す。エメリヒが任せてくれというので、精霊様へのお祈りは任せていると。
「子どもが来ないのは、自分のせいだからって、言っていたの」
ジークリンデは両手で顔を覆う。
なんて、自己犠牲心の強い男だと。
もうすぐ、アイナは二十歳になる。そろそろ我慢するのも限界だろうと、ジークリンデは確信していた。
「実は、その話は子どもに聞かせるおとぎ話で、実際は違うんだ」
「――え?」
「子どもは、夫婦の協力が必要になる」
「わ、私も、お祈りをしなければならないって、こと?」
「祈るだけではだめだ」
額に汗を掻くジークリンデ。
結婚しているにもかかわらず、この年まで純潔を守っていたとは、なんてことだと頭を抱える。
今度から、エメリヒのことを
それから、ジークリンデは子どもができるまでの手順を、丁寧に語って聞かせた。
アイナは顔を真っ赤にしながら聞いている。
二時間後。アイナは深々とジークリンデに頭を下げた。
「その、ジークリンデさん、ありがとうございました。こんなこと、言いたくなかったでしょうに」
「いや、いい。あまり気にするな」
「はい」
泣きそうな顔になっているアイナの頭を、ジークリンデは優しく撫でる。
「で、でも、どうしてエメリヒは、言わなかったのでしょうか?」
「それは――彼なりの優しさだろう」
子どもができるまでの行為と、出産はどうしても女性側の負担が大きくなる。なので、アイナがここでの生活に慣れて、心の余裕ができるまで待っていたのだろうと、ジークリンデは説明をした。
「そ、そんな……そんなことって……」
アイナは堪えきれず、ポロポロと涙を流す。
「エメリヒは良い男だから、良かったらこれからも仲良くしてやってくれ」
ジークリンデの言葉に、アイナはこくりと頷いた。
◇◇◇
夕方。
くたくたになって帰ってきたエメリヒを、アイナは抱擁と共に出迎えた。
「え、何? 虫が出た? それとも鼠?」
アイナは首を振って、どちらでもないと答える。それから、震える声で謝った。ごめんなさいと。
「えっ、アイナちゃん、どうしたの?」
「私、何も知らなくて」
「え、何が?」
エメリヒはアイナを宥め、居間で話を聞くことにした。
温かい紅茶を淹れて、落ち着いてもらう。
「今日、ジークリンデさんに話を聞いて――」
「なんの話?」
紅茶を飲みながら、尋ねるエメリヒ。
「子どもの作り方について」
エメリヒは口に含んでいた紅茶を、すべて噴き出した。
「ごめんなさい。私、ずっと精霊様が連れて来てくれると信じていたの」
「う、うん?」
「ずっと来なかったのは、村で結婚した人が増えたし、順番待ちなのかしらって思い込んでいて」
「う、うん」
一応、男女間でそういう行為をするということは知っていたと話す。近所の奥様方が話をしていたらしい。
「でも、それが妊娠に繋がるって、知らなくて。人によって好き嫌いがあるって言っていたから、エメリヒはあまり興味ないのかと」
「そっか……アイナちゃん、うん、そっか……」
瞼を腫らすアイナを見て、気の毒に思った。
精霊の話が作り話だと知って、辛かっただろうとも。
「ごめんなさい。私、本当に子どもで――まさか、妻の役目も果たしていなかったなんて」
そんなことはないと、エメリヒは首を横に振る。
「俺は、アイナちゃんとこうして暮らしているだけで幸せだし、このままでもいいと思っている」
驚愕の、生涯
けれど、その発言に対し、アイナは驚くべき言葉を返す。
「あなた、何を言っているの?」
「へ?」
ぐいっと、胸倉を掴まれるエメリヒ。
「子ども、欲しくないの?」
「欲しいです」
「それとも、私とそういうことをするのが嫌なの?」
「すごくしたいです」
「だったら、どうするの?」
「まず、心の準備をして、それからお風呂に入って――」
まどろこしいと怒られてしまった。
二人は互いに反省をする。
「これから、我慢しないで。何かあれば、全部相談して」
「はい、わかりました」
アイナは再度、エメリヒに抱きつく。
耳元でそっと「ありがとう」と言い、「大好き」だと伝えた。
◇◇◇
後日、エメリヒはジークリンデのもとを訪れた。
いきなり拝んでくるので、気持ちが悪いと心底思う。
「ありがとう……本当に、ありがとう」
「お前は、アイナを信じられないくらい大切にしていたんだな」
「だって、結婚当初はまだ子どもだったし」
「……そうだな」
出会ってから数年経って、アイナは驚くほど美しくなり、一人前の女性となっていた。
今の輝きは、エメリヒが辛抱強く見守っていた成果だろう。
「よく、頑張った」
「自分でもそう思う」
その会話を最後に、静かな時を過ごす。
かつて、戦場で共に戦ったジークリンデとエメリヒだったが、現在は平和な村を眺めていた。
二人の間を、サラサラと心地よい風が通りすぎる。
ひらひらと葉が舞う中で、ジークリンデはポツリと呟いた。
「不思議な縁もあるものだ」
「おかげさまで、アイナちゃんと会えた」
やっぱり拝んでおこうと、地面に膝を突き、手と手を胸の前で合わせるエメリヒ。
ジークリンデは大きな溜息を吐いていたが、最終的には笑ってしまった。
季節は夏に差しかかり、村の緑も豊かになっていた。これから、ベリー摘みが始まり、村も観光期となる。忙しい日々が始まるのだ。
空は晴れ、子ども達がはしゃぐ声が響き渡る。
今日も、村は平和であった。