辺境生活一日目!
朝。本日もロッサさんの気合の入った、お腹ふみふみで起こされる。
にゃあにゃあ言っているのは、餌を早く用意しろと訴えているのだ。
隣に寝ていたはずのアイナちゃんの姿はすでにない。
寝顔を見られなかったとがっかりしながら起き上がる。
寒がりなロッサは俺が寝ていたところで暖を取っていた。その姿を眺めながら、のろのろと着替える。
暖炉の火を火掻き棒で潰して寝室を出る。ロッサもついて来た。
洗面所へ行って樽の中から水を掬い、髭を剃って顔を洗う。歯も磨いた。
身が引き締まるような冷たい水だった。これが、辺境天然水……。
先ほどからのロッサさんのにゃあにゃあ攻撃に、すみません、少々お待ちくださいと、平謝りをする。
既に居間の暖炉には火が入っており、灯りも点されていた。
棚に入れているアイナちゃん手作りのロッサの保存食を、餌のお皿に入れてあげる。まだ、途中なのに、腕の下から顔を出して、食べだしてしまった。
邪魔にならないように餌を入れて、その場から撤退する。
台所からは、朝食の良い香りが漂っていた。
何か手伝うことがあるかなと、覗いてみたら立ち入り禁止を言い渡される。
食卓は焼きたてのパンの入った籠が中心に置かれ、スープと焼いたベーコン、ジャムなどが並べられた。
幸せな朝の光景が広がっている。
「あ、今日、リツお兄ちゃじゃなくって……領主様が来ることになっているの」
「へ、へえ~」
アイナちゃんリツ君のことお兄ちゃんって呼んでいるのか。
雪妖精二人がきゃっきゃうふふしている姿を思い浮かべ、ほっこりしてしまった。
そんなことよりも、リツ君がいろいろとお話をしに来てくれるらしい。
聞きたいこともあったので、ありがたいなと思った。
昨日、住民証明書の手続きをしている時に、約束をしていたらしい。
午後から忙しいらしく、朝の四番目の鐘の時間にやって来ると言っていた。
それまでの間、アイナちゃんは実家にスープを持って行くと言っていたので、ついて行った。
薪割りをしたら、お義母さんが喜んでくれた。
それにしても、村の雰囲気が少しだけ変わっているような気がする。
今までは閉鎖的な感じがしたが、今は少しだけ、村人同士が打ち解けているように見えた。
その勢いで、自分達も馴染めたらいいなと思う。
そして、あっという間にリツ君がやって来る時間になった。
手土産に鶏を二羽、頂いた。
「ごめんね。引っ越して早々、新婚さんの家に来ちゃって」
とんでもないと首を横に振る。
見慣れない人が来たので、ロッサがじっと窺うようにリツ君を見ていた。
「あ、これが噂のロッサか。へえ、かわいいね」
ロッサを褒めてもらえて、アイナちゃんは嬉しそうだった。
やっぱり、雪妖精兄妹の様子は見ていて癒される。
リツ君が名前を呼びながら手招きをすれば、ロッサは警戒心を見せつつも、そろそろと近づいて行く。
目の前に来れば、さっと捕獲をするように抱き上げた。
意外にも、ロッサはリツ君の胸の中で大人しくしている。
さ、さすが、あの荒ぶる赤鷲、ジークリンデを手懐けたリツ君。
アイナちゃん以外に不愛想な猫、ロッサさんを一瞬で陥落させてしまった。
そんなことはいいとして、話の本題に移る。
リツ君は辺境の一年を教えてくれた。
「まず、一番大変なのは言わずもがな、冬だね」
この国には、一日中太陽が昇らない
その間、猟は危険なので出来ないし、外は真っ暗なので、ほとんどを家の中で過ごすことになるらしい。
春はトナカイの乳を搾り、自生する香草や薬草を摘んで、樹液からシロップを得る。
この時期から、禁猟期間となり、獣を狩ることはしないとか。
夏はベリーを摘んだり、魚を釣ったり、キノコを狩ったり。
秋は狩猟が解禁となり、極夜に向けての保存食作りが始まる。
リツ君は軽い調子で語っていたけれど、その一つ一つをこなすのは大変なことだろう。
「エメリヒ、心配しなくってもいいよ。俺が全部教えてあげるから」
そう難しいことでもないと言ってくれる。
リツ君、なんか、物凄く頼もしい……!!
深く頭を下げて、よろしく頼みますと、お願いすることになった。
「あ、それで、本題に移るんだけど」
「?」
アイナちゃんと同じ方向に首を傾げてしまった。
本題とは、一体……?
「今、家族でお酒が飲める喫茶店みたいなのを経営していてね」
リツ君、忙しいのに、さらにお仕事を増やしていたなんて。
しかも、お店を始めた理由にもびっくりしてしまった。
なんでも、欝々としてしまう極夜を楽しく過ごせるように、村人達の交流の場を提供しようと思って作ったとか。
独身時代、極夜を乗り越えるのが大変だったリツ君だからこそ、考えることが出来たのだろう。
「いやあ、始めたまでは良かったんだけどね。想定外に繁盛してしまって……」
それで、俺とアイナちゃんにお店を手伝って欲しいと言うのだ。
「お願いって、そういうことだったの」
「そう。あ、でも、嫌だったら断ってもいいから」
返事は後日聞かせてくれと言っていた。
それと、今晩リツ君の家で歓迎会を開いてくれるらしい。
喜んで招待を受けることになった。
「今から白樺の蜜採りに行くんだけど、エメリヒはどうする?」
「行きます!」
アイナちゃんは家でいろいろすることがあると言っていた。
俺は何も出来ないので、お誘いはありがたいものであった。
喜んで同行をさせていただく。
アイナちゃんとロッサに行ってきますを言って、出掛けることになった。
◇◇◇
ナイフと銃を持ち、犬を引き連れて森の中を分け入る。
犬を連れていると、野生動物は警戒を強めるので、うっかり鉢合わせになることもないらしい。
そういえば、アイナちゃんの家にも犬が何匹か居た。生活に欠かせない存在だということが発覚する。
狩猟用の犬とソリを引く犬が居るとか。
「犬はね~、村を探せばどっかで譲って貰えると思う」
商人に頼んでも入手することが出来ると教えてくれた。
「困った時はいつでも相談してね」
「あ、ありがとう……」
いや、なんかもう、ここに来てから「リツ君すごい」しか言っていないような気がする。
本当に、ジークリンデが惚れるのも納得の優しさと包容力だ。
お店の手伝いはアイナちゃんと話し合いが必要だと思うけれど、可能な限り彼を助けることが出来たらいいなと思った。
話をしているうちに、白樺の木が生い茂る場所に到着した。
白樺の蜜採りはそんなに難しいものではなくて、俺にも出来そうだった。
帰宅後は昼食を食べて、アイナちゃんとリツ君の言っていたお店の手伝いについて話し合うことにした。
「あなたはどう思う?」
先にアイナちゃんの意見を聞こうとすれば、決定は俺に一任すると言ってくれた。
心はとっくの昔に決まっていた。
「俺は、リツハルド君を助けたいと思っている」
「私も」
二人共良くしてくれたリツ君夫婦に恩返しをしたい気持ちは同じだった。
あっさりと話し合いは終わる。
そのあと、お呼ばれに持って行くお土産のクッキーを二人で作った。
都で買った猫の型を使い、鉄板に並べていった。
一生懸命作ったお土産は喜んでもらえた。
ここで、リツ君のお母さんを初めて見ることに。
「アイナちゃんと~、リッちゃんとリンデちゃんのお友達が来るって聞いて、とっても楽しみにしていたの~」
うん。雰囲気とか、喋り方とか、リツ君そっくり。
いや、リツ君がお母さんに似ているんだけど。
お父さんは研究を発表するとかで、国に帰っているらしい。残念。
そして、二人の息子、アルノー君はしばらく見ない間にずいぶんと大きくなっていた。
ますます、ジークリンデに似ているような気も……。
凛々しく育ちそうだ。
リツ君のお母さんは食事の準備をするために台所に行く。
ジークリンデも手伝いに行こうとしたが、もう一人、奥さんがいるらしく、大丈夫と言っていた。
食事が始まるまで、アルノー君の可愛さを堪能することになった。
アイナちゃんはアルノー君を胸に抱いて嬉しそうにしている。
たまに、子守をすることがあったので、子供を抱くのは慣れていると言っていた。
子を胸に抱くアイナちゃんは素晴らしい。そのまま教会に飾る絵画に出来そうだ。
アルノー君を抱いたまま、アイナちゃんはうっとりとした表情で言う。
「精霊様は、いつになったら私達に子供を贈って下さるのかしら?」
――…………んん? 精霊様が、子供、贈ってくれる、ッテ?
アイナちゃん、それは、一体なんなんだい?
聞き間違いかと思って、質問してしまった。
とりあえず、ベリージュースを飲んで心を落ち着かせることにする。
「知らないの? 子供は、精霊様が贈って下さるのよ?」
その場の空気が一瞬で凍る。
俺はベリージュースを噴き出してしまった。