養蜂家になろう
雪が解けて地面から若葉が顔を覗かせれば、待ちに待った養蜂の季節となる。
父の研究によれば、蜜蜂は集団で冬を越せる種類らしい。なんでも、身を寄せ合って羽を震わせて巣の温度を三十度前後に保っているとか。巣の中にもどっさりと蜂蜜を蓄えてから冬を越すと書かれていた。
早速巣箱を持って森に入る。
作ったのはとりあえず二個だけ。一個は紐で縛って背負い、一個は手に持って歩いて行く。
ジークも手伝うと言ったけれど、彼女の髪色は蜂を興奮させてしまう可能性があるので、一人ですることにした。
土産屋のおかみさんから木箱を貰って蜂の巣箱を製作。側面には窓のような四角い穴と蜂が出入りをする小さな門の穴を開けて、網を張った。
巣箱の中には蜂が巣を作る基盤となる巣枠を入れなければならない。四角い枠を作って、細長い木の枝を十字に張り、巣箱の中に六枚程入れて置くのだ。枝は蜂の巣の崩壊を防ぐ物となる。
蜂は巣枠を元に巣を作り、そこに蜜を集める。だが、この蜜はまだ完全な蜂蜜ではない。糖度も低く、ただの花の蜜状態なのだ。そこから何度か蜜蜂の体内で成分を転化して、さらに蜜を翅や舌で温めて糖度を上げていけば完成となる。
その仕上がった蜜を頂くというわけだ。
父の研究書には効率よく採蜜をする方法が書かれていた。遠心分離機というもので、巣枠を入れて回転させ、遠心力を働かせて巣から蜂蜜を分離させるという方法らしい。
非常に便利だが、材料がないので作れない。
まあ、今年は一年目なので、蜂蜜を採ることだけを目標に頑張ることにした。
巣箱は森の中の花畑に設置する。日当たりも良くて、風も当たらない場所なので蜜を作るのに最適の場となるだろう。
この後は蜜蜂の捕獲だ。
巣箱に蜜を採った巣の搾りかすを擦り、匂いを付けておびき寄せるのだ。
偶然、数日前にテオポロンから蜜蜂の巣を頂いたので、利用させて貰った。
その後、毎日巣の様子を見に来たが、蜂がお引越ししてきた様子は無かった。
これが駄目なら次の方法に移る。
蜂は越冬すれば新しい女王に巣を譲るようになるらしい。前の女王蜂は巣の半分の働き蜂を引き連れて、他に巣を作る。
この前行ったおびき寄せる方法は、巣を出た一団が自然と寄り付くことを狙った作戦であったが、なかなか上手くいかなかった。
なので、今度は手早くその蜂の集団を捕獲して巣箱に入れるという方法を取る。
今の時期、巣から出た女王蜂を中心として、蜂が球のようになって木に留まっているらしい。
女王を守る為にそのような形になるとか。
それを棒に付けた袋で捕獲をしなければならないのだ。
今日は捕獲作戦に移らなければならないので、重装備でやって来た。
目の細かい網を帽子に付けて顔に近づけないようにして、それ以外も露出をしないような格好をする。
森の中にある蜂団子を探す。正確には分封蜂球という名称らしい。
しかしながら、蜂の巣はいくつか見つけたが、蜂団子を見つけることは出来なかった。
このまま帰るのも悔しいので、蜂の巣から女王蜂が出てこないかな~と、木の枝にぶら下がる巣を観察していた。が、思いもよらぬ事態となってしまった。
「――痛った!!」
ふくらはぎに鋭い痛みが走る。
すぐに蜂に刺されたのだと気付いた。
分厚い冬服を着ていれば針は届かないだろうという思い込みは間違いだったようだ。
ここでジタバタ慌ててしまえば周辺に潜んでいるかもしれない蜂の攻撃性を高めてしまう。なるべくゆっくりと、この場を離れることにした。
長年森の散策をしていたが、蜂に刺されたのは初めてだ。
刺された箇所がじわじわと鈍痛を訴え、地味に痛い。毒針はすぐに抜くべしとあったが、巣からはなれなければならないので、痛みを我慢する。
川まで移動して、ズボンを慎重な手つきで捲り上げた。案の定、刺された部位が腫れている。毒針は見当たらなかった。
すぐに、刺された所を水で洗う。腫れた部位は冷やした方がいいと書いてあったので、川に足を浸けてしばらく待機。
腫れが引いたら蜂蜜を塗ればいいとのこと。多少はマシになるとか。
なんで刺されてしまったのかと首を傾げたが、よくよく考えたら、巣を観察している人間なんて不審者にしか見えない。攻撃されてもおかしくないのだ。
蜂は巣を狙う者に容赦しない。
なので、刺されても仕方がない話であった。深く反省する。
本日は蜂に刺されて心がぽっきりと折れてしまった。日も傾いて来たので、香草採取をしながら帰宅をすることにする。
◇◇◇
「ただいま!!」
家に帰れば、ジークが洗濯物を取り込んでいた。背中にアルノーをおぶっている。
息子の顔を覗きこめば、ぐっすりと眠っていた。目を閉じている時も驚くほど可愛い。さすがは我が息子。
「アルノー、揺り籠に寝せようか」
「ああ、頼めるか?」
「お任せあれ!」
片手でアルノーを支えながら、ジークのお腹の辺りに結んである紐を解いた。
ぐっすり眠っている赤子の体はほかほかだ。触れているとどうしてかホッとしてしまう。
居間に置いてある揺り籠に寝かせて、顔を覗き込んだ。
ふっくらとしている頬は微かに紅い。ぎゅっと握られた手は見ているだけで癒される。
しばらく息子の寝顔を眺めていれば、ジークが帰ってきた。
「籠の中の香草は全て網の上に干してきたが」
「ありがとう」
香草には乾燥させるものと、炒るものがある。ジークはきちんと種類を覚えているようで、対応もばっちりであった。
「ジーク、今日も駄目だったよ」
「そうか」
思いの外、蜂とのお付き合いは難しい。日々痛感していた。
本当だったらいい報告だけしたいけれど、家族の協力あっての養蜂なので、活動を行ったら包み隠さず言うことにしている。先ほど蜂に襲われたことも言わなければならない。一度、深呼吸をしてから話す。
「じ、実は、今日、初めて蜂に刺されて」
「なんだって!?」
ジークは心配をしてくれたが、うっかり蜂に刺されるなんて最高に間抜けで恥ずかしい。
「どこに刺された? 腫れていないのか?」
「だ、大丈夫」
「見せてみろ」
「いや、えっと、ははは」
笑って誤魔化したが、いいから見せろと怒られてしまった。
ズボンを捲り上げたら、ジークは地面に片膝を付いてじっと患部を眺めている。
「痛みは?」
「特にないかな」
「息苦しさや眩暈などは?」
「ないよ」
何故、そんなことを気にするのかと聞けば、軍時代に蜂に刺されて倒れた人を見たことがあるからだと言う。
「稀な話ではあるが、蜂に刺された後、体が過剰反応を起こして死に至る場合もあるらしい。昔、医師から聞いたことがある」
「そうなんだ」
蜂に刺された時は体の具合にも気を付けて欲しいと言われた。
「気にかけておくよ」
「そうしてくれ」
それからジークは新婚旅行中に買い込んで来た薬箱を持って来て、虫刺され薬を優しく塗布してくれた。
手当が終われば、棚に薬箱を戻して隣に腰掛ける。腕を組み、渋い表情で話し出した。
「出来れば、私も同行したいところだが……」
「う~ん」
ジークの髪色は蜂の防衛本能を刺激しそうだし、アルノーも乳離れをしていないので遠出は出来ないのだ。
「まあ、今の時期は仕方がないとして、いずれは、私も――」
「うん、そうだね」
髪の毛は綺麗に纏めて帽子に入れ込めば問題はないだろう。手伝いたいという彼女の気持ちも嬉しいし大切なので、ゆくゆくは二人で出来たらなあと考えている。
ジークは驚いた顔でこちらを見ていた。
「どうしたの?」
「い、いや、手伝わせてくれるとは、思っていなかった、から」
「この先、蜂蜜作りが成功したらのお話だけどね」
そう。まずは蜂を捕獲しなければならない。それからうまい具合に採蜜まで辿り着けるかも問題だ。養蜂家と名乗れるまではほど遠い。
「それまでジークは俺だけの花で居て下さい」
安全な場所で咲いてくれるお花だったら他の虫も寄り付かなくって安心なんだけど、彼女は働き者で行動派なのだ。けれど、それがいいところでもある。
突然大人しくなったので、ちらりと横に座っているジークを見てみれば、頬を真っ赤に染めていた。
「ど、どうしたの!?」
「リツがとんでもないことを言うからだ」
ジークを花に例えたお話に照れているようだった。
そういう反応をされてしまえば、こちらも恥ずかしくなってしまう。
「でも、本当のことだし」
自分なんてジークという大輪に吸い寄せられた羽虫でしかない。
でも、今まで言ったことがなかったなあと振り返る。
それにしても、照れるジークは死ぬほど可愛い。
目が合えば、ふいと逸らされてしまった。
そんなことして、つれない態度も可愛いんだから!
堪らない反応をするジークをじっくり堪能させて貰った。