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良い風呂の日!

 一人暮らし時代の楽しみと言えば食事とお風呂しかなかった。

 中でも、お風呂に関しては一時期いろいろと凝りまくっていたのだ。

 洗髪剤に入浴剤、洗体液などなど。

 その中で、石鹸作りは特に夢中になっていた。

 村の奥様方から作り方を習い、いろんな素材を使って石鹸を作った。


 村のご婦人方との石鹸交換会も何回か参加していたけれど、ここ二年は忙しくて行けなかった。


 今年こそ、春先の石鹸交換会に参加をしようと、張り切って作成を始める。

 ジークも一緒に手伝ってくれると言う。


「まさか石鹸まで作っていたとはな」

「最近はずっとしていなかったんだけどね。二年ぶりくらい?」


 ジークと初めての極夜は、いろいろとすることも多く、石鹸を作る暇がなかった。

 久々の挑戦となる。

 今回は肌に良いとされる、ちょっぴり高級な油を使って作ることにした。


 一つ目の油は『オリーブオイル』。

 オリーブオイルで一番いいものとされるのは、一番搾りである『エキストラバージンオイル』だけど、石鹸を作る時は二~三番絞りである『ピュアオリーブオイル』がいいらしい。

 そちらの方が保湿成分スクワレンを多く含んでいるとか。


 二つ目の油が『スイートアーモンドオイル』。

 若干お高めな油。

 いにしえの時代より、貴婦人の髪のお手入れに使われていたものらしい。

 こちらも保湿成分が豊富に含まれている。


 三つ目の油が『ホホバオイル』。

 肌にハリと潤いを与える。

 他にも、毛穴に詰まった汚れを浮かせて落としやすくする効果があるとか。

 刺激が少ないので、肌にも優しい。


 以上が主な材料である。


 他に、溶け崩れを防ぐのに必要な『パームオイル』、泡立ちを良くする『ココナッツオイル』を入れる。

 油以外の材料は『純水』と『苛性ソーダ』の二つ。


 純水は蒸留をして不純物を抜いた綺麗なお水。

 苛性ソーダは油分と反応して、石鹸を作ることが出来るお薬。

 商人から買えるものだが、劇薬指定なので、購入の際に書類を書く必要がある。

 また、使う際にも注意が必要だ。


 以上の品々を使って、石鹸を作る。


「苛性ソーダには注意してね」

「分かった」

「口元も、念の為に布を当てておいた方がいいかも」


 苛性ソーダは直接触れたら火傷をする。扱う時は慎重になる必要があった。

 火傷も普通のものとは違う。化学熱傷と呼ばれる症状が出る。

 普通の火傷は熱によって皮膚を負傷するのに対して、薬品火傷は直接皮膚を破壊し、体の深部まで達する場合もあるのだ。

 大変危険なので、取り扱いには気を付けて欲しいと、商人から注意された。 


「ジークは、石鹸作りは初めてだし、今回の苛性ソーダの扱いは見るだけにしてくれるかな?」

「了解した」


 まず、苛性ソーダを吸い込まないように、口と鼻を覆う様に布を巻いた。


 苛性ソーダは鉄やアルミを腐食させるので、今回は琺瑯エナメル製のボウルを使う。


 手袋を嵌めてから、匙で苛性ソーダの量を量り、ボウルの中に入れる。そのボウルをしばらく雪で冷やした。

 ちょっと寒いけれど、換気をしなければならないので窓を開いた。

 水の中に苛性ソーダを少しずつ入れて、よくかき混ぜる。

 ボウルの中は熱くなっている。外から雪を持って来て、容器を重ね、人肌よりも少しだけ温かくなるまで冷ます。

 別のボウルにオリーブオイル、スイートアーモンドオイル、ホホバオイルを混ぜ、湯煎で温めたパームオイルとココナッツオイルを投入。その後、こちらも人肌より少し熱くなるくらいまで熱する。


 二つのボウルの中身が同じ位の温度になれば、油を混ぜつつ、苛性ソーダ水を少しずつ加えていく。


 全て注ぎ切れば、泡だて器で三十分ほどかき混ぜる。

 この攪拌作業も石鹸作りには重要なことの一つだ。

 しっかり素材が混ざっていなければ、ダマになったり、層が出来たりと、石鹸の仕上りに問題が出てくる。


 そんなことを話しながら、ジークと交代しつつ混ぜる作業を行った。


 その後、ボウルに布を被せ、しばらく放置する。

 一時間ごとに様子を見て、水と油が分離しているようなら混ぜる。


 置いているうちに、薬品が科学反応を起こして、石鹸になるための鹸化が始まる。

 半日置けばクリーム色になり、液体ももったりとなるのだ。


 長方形の型にホホバオイルをしっかりと塗りこみ、石鹸の元を流し込んでいく。

 ここで油を塗っておかないと、型から石鹸が外れなくなってしまうのだ。


 暗く温かな場所で三日ほど乾かせば、型から外して切り分ける。


「あとは一ヶ月くらい熟成させたら完成かな?」

「そんなにかかるのか?」

「びっくりするよね」


 良質の石鹸は、素材がしっかり鹸化されていることが大前提だ。

 鹸化が不十分な石鹸は、肌の状態を悪くさせる原因にもなる。

 中でも、オリーブオイルの鹸化速度は遅いと聞いたことがあった。なので、しっかりと熟成させる必要があるのだ。

 熟成期間が長いほど、優しく、きめ細やかな泡立ちがする石鹸が出来るらしい。


「なるほどな」

「石鹸作りは気長にしなきゃいけないんだよねえ」


 熟成は木箱で行う。

 以前使っていた箱を持ち出せば、二年前に作っていた石鹸が入ったままになっていた。



「おお、二年物の石鹸!」


 トナカイの乳石鹸が入っていた。風通しの良い場所に置いてあったので、カビが生えている様子もない。一応、念の為にナイフで割ってみたが、中まで綺麗なままだった。


 試しに手を洗ってみる。


「あ、大丈夫みたいだね。体を洗うのにも使えるね」

「そうだな。すごくしっとりしている。最近肌が荒れているし、いいかもしれない」

「え、そう?」


 普段と変わらないような気がしたので、顔を覗き込めば、怒られてしまった。


「でも、ジークって肌綺麗だ……むぐ」


 言い終わる前に口をふさがれてしまう。

 ジークは呆れたような顔で言った。


「リツ、前から思っていたが、そういうのは、いつ見ているんだ……?」

「普段から、たまに」

「……」


 ぱっと手が離され、大きなため息を吐かれてしまった。


「綺麗なものにはついつい視線が」

「分かったから」


 本気で言っているのに、信じてもらえなかった。


 ◇◇◇


 トナカイの乳石鹸は女性陣に好評だった。

 母は肌がすべすべになったと喜んでいる。

 ジークは泡立ちが気に入ったと言ってくれた。


「リッちゃん、石鹸も作っていたのね」

「暇潰しにね」

「お母さんも、久々に作らなきゃ!」


 母の石鹸作りの火を点けてしまったらしい。

 そういえば、昔は母の手作り石鹸を使っていたなと思い出す。


「リッちゃんも、お湯が冷めないうちに入ったら?」

「そうだね」


 母に促されてお風呂へ。


 早速、二年前に作った石鹸を使ってみることに。

 桶に張った湯に潜らせてから、手のひらで泡立てる。

 モコモコとなめらかで、きめ細やかな泡が出来た。

 石鹸の良い香りが漂う。


 肌の変化はいまいちよく分からない。

 その辺は女性の方が実感しやすいのだろうか。


 いつも以上に念入りに、体を洗ってみる。


 背中を洗おうとしたその時、突然、浴室の出入り口の扉が叩かれた。

 誰かと思えば、ジークリンデさんだった。


「どうしたの?」

「いや、背中でも流そうかと思って」

「えっ、本当に!?」


 ジークはたまにこうやって背中を流しに来る。


 袖とズボンを捲った姿で浴室に現れ、背中をわしわしと洗ってくれた。

 彼女の力の加減が絶妙で、ものすごく気持ちがいい。


「うわ~~、幸せ~~……」


 最後にざばりと湯を掛けてくれた。


「ジーク、ありがとう」

「……」

「ん? どうかしたの?」

「いや、力を入れ過ぎたからか、背中を真っ赤にしてしまった。すまない」

「ああ、大丈夫大丈夫~、ありがとうね」


 そのように言っていたが、浴槽の中に浸かったら背中が少しだけヒリヒリしていた。


 これもジークの愛。


 そう思うことにした。


 ◇◇◇


 結婚後もお風呂は毎日の楽しみであった。

 さっぱりするし、疲れも取れる。

 それから、先ほどみたいにジークが背中を流しに来てくれるのが嬉しい。


 湯に浸かりながら、改めて、お風呂っていいなと考えていた。


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