小話まとめ
今回は書籍版で没になったお話二本とツイッターに載せていた小話、活動報告に載せていたお話をまとめてお届けいたします。
あと、なろうコンサイトにて『北欧貴族と猛禽妻の雪国狩り暮らし』の特設ページを作って頂きました!
素敵な内容とデザインなので、ぜひともご覧になって頂ければ嬉しく思います。
(特設ページ、なろうコンの宝島社特設サイトのバナーから入れますm(_ _)m)
『ケイネスとリツハルドのお話』・・・一話のケイネス視点
煌びやかな格好をした男女が生涯の伴侶を探し求めてやって来る夜会に、ブルツェンスカ子爵家の三男、ケイネスは渋面を浮かべながら臨む。
彼が夜会に参加をするのは初めて。
ケイネスは十八年間庶民として暮していた。
ところが、つい一年前に長男を亡くしたという、会ったこともなかった父親が迎えに来たために、貴族の一員として迎えられることになる。
工場で働いている母親は、若い頃子爵家で働いていたことがあったらしい。
若気の至りで関係を持ち、妊娠発覚後に解雇になるという話は、貴族の屋敷で働く使用人の界隈ではよくある話である。
子爵家の次男が病気がちだったので、ケイネスは予備の跡取りにするために連れて来られたのだ。
当然ながら、元庶民のケイネスが貴族の社交の場に溶け込める訳がなく、壁に寄り掛かって楽しそうに会話をする男女を眺めるばかりだった。
少し離れた場所に視線を移せば、人だかりが出来ている。
中心に居る老齢の紳士は以前父親に顔と名前を覚えるように言われていた人物であった。
アーダルベルト・フォン・リューネブルグ。爵位は侯爵。
私財を投じて庶民の通う学校を建設したり、女性が働ける工場や商店などを作ったりと、経済的弱者に向けての幅広い事業を行っている大貴族だと教えられていた。
母親が働いていた工場も侯爵が経営する所なので、親近感を勝手に抱いている。
夜会などで侯爵に出会ったら必ず挨拶をするようにと教えられていたが、残念ながら近寄る隙がないように思えたので、その場でぼんやりと眺めるだけになっていた。
リューネブルグ侯爵の隣には、二十歳に届いていない位の青年が佇んでいる。
ケイネスは青年の姿形を見て驚く。
銀に見紛うほどの美しい白い髪に、宝石のような青い目。容貌は現実離れをしたような美しさ。
子爵家に飾ってあった幻想的な絵画から抜け出して来たような姿に、目を奪われてしまう。
そのように、呆気に取られていたのはケイネスだけではなかった。
周囲の人々も老若男女問わず、珍しい青年の姿に目を奪われていたのだ。
まじまじと珍獣でも見るかのように白髪の青年を眺めていたら、偶然にも目が合ってしまった。
青年は目を細め、微笑むような顔でケイネスを見てから視線を逸らす。
その時は、見ず知らずの人間に笑いかけるなんて、軽薄な男だという印象しか残らなかった。
二年目の夜会ともなれば、父親より本気を出せと怒られながらの出発となった。
教養であるダンスをきっちりと体に覚えさせ、女性を楽しませる会話術も馬鹿馬鹿しいと思いつつも丸暗記して来た。
夜会の場は相変わらず煌々としていて、華やかな様子を見せている。
ケイネスは最低でも一人位はダンスに誘わなければと自分に課せていた。
緊張感で胸が張り裂けそうになっていると、偶然にも近くに居た女性と目が合った。
「あのッ、――!?」
声を掛けた瞬間に、背後から衝撃がやって来る。
「あ、すみません!」
すぐに謝罪の言葉があったので、わざとではないとわかったが、目の前に居た女性には逃げられてしまう。
恨みがましく振り返れば、そこに居たのは一年前に見かけた白髪の青年であった。
「背中、痛みます? ごめんなさい、余所見していて」
「……」
申し訳なさそうに頭を下げる青年を見ながら思いつく。
キラキラとしていて異性受けしそうな彼を餌にして、女性を釣ろうと思ったケイネスは、少し話さないかと誘うことにした。
それがこの先十年と縁が続くことになる白髪の青年、リツハルド・サロネン・レヴォントレットとの出会いであった。
◇◇◇
互いに自己紹介をした後に、壁を背にして語り合う。
儚げな印象のあるリツハルドであったが、領地では獲物を銃で狩って生活をするという、狩猟民族だと言う事実が判明する。最初は冗談かと思っていた。
「お前みたいなぽわぽわした奴が狩猟なんか出来るのかよ」
「出来るんだな~、これが」
世の中には喋ると残念な奴が居ると言われているが、リツハルドもその類の人間だとケイネスは思った。
喋ると脱力するというか、のんびりしている独特の雰囲気について行けなくなるというか。
だが、女性を引き付ける魅力だけは本物で、さきほどからチラチラと女性の視線を感じていた。
「ここには、なにをしに?」
「もちろん、お嫁さんを探しに!」
「だったら都合がいい」
ケイネスはリツハルドに耳打ちをして、少し離れた場所に居た美女二人に話しかけることにした。
名案だと思ったリツハルドを餌にする作戦であったが、見事な大失敗となる。
リツハルドが空気を読まずに動物解体の話を始めてしまったからだ。
「どうして都で流行っているスプレッドの話から、動物解体の話になった!」
「いや、雷鳥の肝臓練り美味しいよね! って話をしただけで」
「解体する工程とか、実際に作る話とかいらねえんだよ!」
「へえ、そ~なんだ」
「……」
残念なことに、リツハルドの中身はガチの狩猟民族だった。
「あのな、女が興味あることといえば、流行りの品物や芸術関連、花の名前」
「あ、植物なら詳しいよ!」
壁の花瓶に挿してある白い花を指差しながら語る。
「このお花ね、とっても可憐だけど、毒があるんだよね」
「……」
「強心作用だったかな? 摂取したら呼吸が出来なくなるって。花瓶の中の水を飲んだだけで危ないとか言っていた気がする~」
そういうことじゃないとケイネスは思ったが、指摘する元気もなかったので、リツハルドの話を大人しく聞いていた。
それからケイネスは、年に一度の夜会でリツハルドと再会を重ねることになっていた。
彼は婚約者を連れて帰っては逃げられるという愚行を繰り返している。
「そういえば、ケイネスは結婚しないの?」
「俺はまだいいよ」
二年前に父親が再婚をして、昨年待望の男児が生まれた。
後継者が出来たからか、周囲もうるさく言わなくなった。
「ここへは灰色の軍人生活のうさ晴らしに来ているだけだよ」
「あ、分かる!」
リツハルドの暮らす雪国も、娯楽も何もない場所で日々灰色な独身生活を送っているという。軍隊に属して規律的な生活をしているケイネスも、羽を伸ばせる機会が夜会しかなかったのである。
「結婚ってどんなものなのかなあ」
「知るかよ」
ここで嫁を見つけることは不可能なのでは? と思っていたが、言わないでおいた。
結婚に夢を見過ぎているリツハルドを気の毒に思う。
しかしながら、それも仕方がない話であった。
着飾った貴族たちが集まる煌びやかな世界の中では、ケイネスですらひと時の夢を見たいと思っているからだ。
◇◇◇
十年後。
普段と変わらない夜会。
今宵も男女の出会いの場となる夜会は開かれる。
いつもと違うことと言えば、普段は夜会に顔を出さない大物がやって来た位か。
ジークリンデ・フォン・ヴァッティン。
軍では知らない者が居ないほどの超がつく有名人が来ていた。
ケイネスも軍で見掛けたのは一度だけだが、鮮やかな赤い髪色は印象に強く残っていた。
女たちは、精悍なジークリンデの姿にうっとりと魅入っている。
男たちは、誰よりも美しく、凛々しい男に見えるジークリンデに嫉妬していた。
だが、会場の中でリツハルドだけは違った。
彼はジークリンデに一目惚れをして、いきなり求婚してしまうという暴挙に出ることに。
女性の熱い視線を集めていた軍人を独り占めする結果となったリツハルドは、盛大な恨みを買うことになる。
とりあえず、騒ぎを収めるために会場を後にするリツハルドとジークリンデ。
リツハルドは令嬢からの罵倒を浴びながら、背中を丸めて歩く。
ジークリンデはリツハルドを周囲から守ろうと、背中に手を添えながら出口まで導いていた。
傍から眺めるリツハルドとジークリンデは、逮捕された犯人と連行するエリート軍人に見えた。
そんな姿に笑ってしまう。
ケイネスは今度こそ幸せになって欲しいと願いながら、友を見送った。
数ヶ月後、予想もしていなかった驚きの手紙が届けられた。
書かれてあったのは、あのジークリンデ・フォン・ヴァッティンとリツハルドが結婚をしたというもの。
人生とは何が起こるか分からない。
ケイネスはそんな風に思っていた。
おわり
◇◇◇
『焦る、リツハルド』・・・物語初期。仮暮らし真っ只中。
ジークと暮らし始めて数日が経った。戦闘民族の家族以外と暮らすなんて十年振りで、ほとんど浮かれるようにして過ごしていた。
毎日がふわふわとした状態だったので、当然失敗もしてしまう。
ある朝の話。
なんだか早く目が覚めたので、ジークよりも早く起きて居間で待っておこうと思った。
まだ太陽も昇っていないような時間帯。薄暗い中、寝間着のままで部屋を出る。
「――え?」
何故かジークの部屋の扉が僅かに開いていた。
いつもはしっかり閉めているのに、どうして!?
気になったので、軽く扉を叩きながら外から声を掛けてみる。
「ジーク、ジークリンデ」
何度か名前を呼んでみたが、返事はない。
嫌な予感しかしなくて、最悪の事態が頭の中に浮かぶ。胸もドクドクと鼓動が嫌感じに激しく鳴り響いていた。
「ごめん、ジーク」
駄目なことだと分かっていたけれど、ジークの部屋に入ってしまう。
「!?」
部屋の中は当たり前だが真っ暗。けれど、入ってすぐに人の気配がないことに気づいた。
――ジークが、居ない。
自室へ戻り、角灯に火を点けてから念の為に寝台の上などを調べたが、やっぱりジークを発見する事は出来なかった。
慌てて一階に下りて部屋を見て回ったが、誰も居ない。
「ジーク、どこに居るの!?」
外に出て屋敷をくるりと回って探したが、どこもかしこもシンと静まり返っていた。犬小屋やトナカイ小屋、工房も同様に。
ふと、屋敷の茂みの方に人の気配を感じたので慌てて走って行った先で、ビクリと肩を揺らしてしまう。
うっかり、テオポロンと鉢合わせをする羽目に。
「――う、うわ!!」
「……」
「あ、ごめんね。ちょっと、ジークを探していて」
彼は自分との邂逅に動じることなく、森に行って仕留めた猪を見せてくれた。
ジークを見なかったかと訊ねたけれど、こちらも慌てていたので上手く意志の疎通を取ることは出来ない。
その後もよく探しまわったが、ジークが屋敷の敷地内に居ない事は分かった。
もしかして、ジークリンデは既に村には――!?
それは、考えるのもおぞましいことである。
もしかして、馴れ馴れしい男との同居生活に耐えられなくなったのか。もっと気を使うべきであったのだろう。
後悔しても遅い。
気がつけば、着のみ着のままで村まで走っていた。
家から村までの雪面を角灯で照らしたら、人が通ったような痕跡もあった。けれど、テオポロンの足跡の可能性もあったので安心は出来ない。
村人達は薄暗い中でも働いている。良く見れば、雪かきをしたり井戸から水を汲んで運んでいるのは女性ばかりだ。家を守るのは女性の仕事だと聞いていたが、このような力仕事までしているとは知らなかった。
でも、今はそんなことに気を取られている暇はない。とにかくジークを探し出すのが先決だ。
周囲を見回しながら、城塞の出入り口まで走る。
信じられない事に城塞の鉄格子は二ヶ所共上がっていたし、侵入を防ぐための横木も扉に通されていない。夜だけは必ず扉を閉鎖して鉄格子も下ろすようにと厳命していたのに、一体どういうことだと夜勤担当の軍人に詰め寄ろうとしたが、窓口や休憩所は誰一人として待機して居なかった。
これではジークが通ったかも聞き出せない。
前に夜間もしっかり働いてくれと苦情を言っていたのに、全く効果はなかったことになる。
自分の領主としての不甲斐なさにも落ち込んでしまった。
外に出てから足元を照らす。誰かが立ち去ったような足跡は付いていなかったが、雪が降ればその証拠も消えてしまうので確認する意味はあまりない。
とりあえず、城塞の出入り扉には横木を通して、外部から誰も入れないようにした。
暗い時間帯に商人や旅人が来れば、門の外にある小屋を使えばいいだろう。そこには暖炉も食糧もあるので凍死する事もない。
一連の確認作業を終えて、どっと疲労を感じている事に気が付く。
ここまで全力疾走で来たので、心臓がドクドクと激しく鼓動を打っていた。
――胸が痛い。
それは、体力の限界を感じているからだけではないだろう。原因は他にもある。一度息を整えてから、家に戻ろうと城塞内の廊下を進んだ。
「あれ~、誰かと思ったら、領主様?」
「!」
窓口から顔を出してこちらを覗き込む輩が居て、ちょっとだけびっくりしてしまった。
顔を出していたのは城塞の警護任務に当たっている軍人である。
ちょうどいいので出入り口の管理がなっていない事と、夜勤体制がどうなっているかということを問い詰めた。
「ああ~、誰かやっていると思ったんですけれどね~」
「……」
やっぱり。
もう何だか怒るだけ無駄な感じがする。
ここで怒鳴ってもただの八つ当たりになりそうだったので、軽く注意だけする事にした。
とりあえず、この件については軍の本部に相談をしなければならない。上官に言ってもきっと無駄なことだと思った。
これで会話は終わりだと思っていたのに、好奇心旺盛な若い軍人は更に話し掛けて来る。
「どうしたんですか? こんな朝から」
「別に。ちょっと散歩」
「もしかして奥さんと喧嘩でもしてお屋敷から追い出されたとか?」
「違うよ」
「え~、本当ですか~」
「……」
これ以上彼と話をしていてもイライラするだけだったので、用事があると言って城塞の騎士と別れた。
昨晩は雪が降ったのか、足跡の少ない道をとぼとぼとした足取りで歩く。
村を隅々まで見て回ったが、結局ジークの姿を見つけることが出来なかった。
「あら、領主様!」
「あ、どうも」
偶然出会った土産屋のおかみさんが、朝の挨拶をしてくれる。
「こんな朝からお散歩を?」
「……まあ、たまには朝の見回りもいいかなって」
「そうかい、珍しいから、何かあったのかねえって、思ってさ」
「……あ、いや、別に」
今まで村の見回りなんてほとんどしていないし、明らかに落ち込んでいるような空気となっているので色々と勘付かれているのかもしれない。
一応、駄目もとでジークの事を聞いてみる。
「おかみさん、あの、ジークを見ませんでしたか?」
「今日は見ていないけどねえ」
「ん? 今日はって、どういうことで?」
「ジークリンデさんは毎朝この辺を散歩しているから、今の時間帯ならお屋敷に戻っているんじゃないかい?」
「!?」
まさかの事実。ジークは毎朝村の中を散歩していたと。
おかみさんにお礼を言ってから、自宅まで全力疾走する。
村から家までの軽い森の中を抜け、ちょっとした坂道になっている道のりも走って上った。
空はうっすらと明るくなり、周囲の状況も分かりやすくなる。
自宅前にある門を抜け、玄関先へと走って行けば、赤い髪を持つ長身の後ろ姿を発見した。
「ジークリンデ!」
名前を呼べば、会いたかった女性が振り返ってくれる。
駆け寄って行って、ジークの両腕を掴んだ。
「――どうした!?」
聞かれても、すぐに答えることは出来ない。本日二回目の息切れを起こしていた。
人生の中でこんなに走り回った事がないので、どういう呼吸をしていいのか分からずに、白い息だけを吐き続ける。
「大丈夫か?」
「う、うん」
ジークの両腕をしっかり掴んだまま、まともに喋れない状態で項垂れる。朝から走りまわった疲労と、何と表現して良いのか分からない安堵が一気に押し寄せて、ぐったりと脱力してしまった。
落ち着いた状態になれば、部屋で話そうという提案出来るように。
「ごめんね。外で寒かったでしょう?」
「いや、散歩で体も温まっていたから、特に支障は」
「そう? 良かった」
「寒いのはそちらではないのか?」
「あ、いや、そこまで寒くないよ」
「そうか」
そういえば、寝間着に上着を羽織った姿だったと、己の姿を反省する。
「さ、寒いから、家の中に」
「ああ」
微妙な雰囲気での帰宅となった。
ミルポロンが暖炉の中に火を入れてくれていたので、部屋の中はすっかり暖かい空間となっていた。ありがたいものである。
気まずい雰囲気のまま向き合って座れば、ちょうどいい具合にルルポロンが温かい飲み物を持って来てくれた。
香草茶を飲んで一息入れてから、本題を話し合う事に移る。
「それで、あの――ジークは、朝から毎日お散歩を?」
「ああ。すまない。申告するのを忘れていた」
散歩は彼女にとって毎日の日課だと言う。思いがけない渋い趣味に、一瞬言葉を失ってしまった。
「い、いや、良いんだけどね、お散歩に行っても」
まさか薄暗いうちから散歩に出掛けているなんて想像もしていなかった。そうとは知らずに最悪な事態が頭に過ぎり、信じられない位に狼狽した。
隠し事はいけないので、それについてもしっかり報告する。
「実は、逃げられたかと思って、それで、慌ててジークを探しに行って」
「悪いことをした」
「いや、冷静に考えればジークが黙って出て行くような人ではないって、分かるのに……」
寝起きで頭も働いていなかったのかもしれない。疑ってしまって本当に申し訳ない事だと思っている。
「前にも軽く話をしたと思うけれど、今までに何度か婚約者に逃げられてしまって……。それで、朝、ジークの姿が無かったものだから……」
「ああ、そういう訳か」
「……はい」
察しの良い奥さんは、大袈裟な行動を理解してくれた。
「安心しろ。私は逃げも隠れもしない。黙って居なくなるなど以ての外だ」
「ありがとう、ございます」
力強く宣言してくれた言葉に、なんだか嬉しくなって目頭が熱くなった。
自分の中で気付かない内に、誰かが家から居なくなることを恐れていたのかもしれない。立て続けに婚約者に逃げられたと言う事が、心的外傷となっていたからだろう。
今までの事情を詳しく説明すれば、ジークはある提案をしてくれた。
「今度から、黙って出掛ける時は、居間の机の上に手紙を残しておこう」
「で、でも、そういうの、大変でしょう?」
「一言紙に綴る位は何の苦でもない。気にするな」
なんという器の大きな女性なのか。ありがたいと心の中で手と手を合わせて拝んでしまう。
「その代わりに、毎朝の散歩は続けさせて貰うが」
「それは、お好きなだけどうぞ」
以上がジークとの間に約束事が増えた日の話である。
◇◇◇
北欧貴族、ちょっと小話
『ミルカは見た』・・・ツイッターに載せていた小話です。
土産屋の前を通ったミルカは、窓の中から中の様子を見てウンザリする。
(母さん、また領主の嫁の集会に参加してんのかよ)
今日も領主嫁を慕う会が開かれていた。
(すげえな、あの人も)
女性を侍らせる女性という謎の光景に、ウンザリするミルカ。
一体どこの娘が来ているのかと、確認をする。
一人一人把握していると、最後の一人でぎょっとすることになる。
その人物は、村娘の中でも一際美しい髪を持ち、ぱっちりとした大きな目は領主嫁に向けられていた。
一つに結った三つ編みを前から垂らしている者が、あの中で一番綺麗な顔をしていると思った。
それが誰かと気付いた瞬間に怒りを覚えるミルカ。
(……くっそ!あれ、領主じゃんか!)
娘達の中に、領主リツハルドが紛れていたのだ。
なぜ、娘達の中に自然に溶け込んでいるのかと、疑問に思う。
そもそも、男に見える嫁も十分におかしいとミルカは考える。
「こんなの間違ってる!!」
窓の外で叫び、少年は逃げるように土産屋の前から去って行った。
〜完〜
『エルとアルの妖精幻想記』・・・エーデルガルド視点。
本編の最終話から二年後位のお話です。
●○●
リツハルド叔父様と出会って三年目の夏に私は妹とお祖父様、お父様と犬のリツ、四人と一頭で妖精の村に行くことになった。
お祖母様とお母様は今回もお留守番。
お祖父様やお父様の言うことを聞いていい子にしているのよ、とお約束をしてから出掛けることになった。
お父様は船での滞在を心配していたけれど、平気だった。
妹は大人しく本を読んでいたし、私もずっと絵を描いていた。
到着は二日後。
小さな港町に辿り着く。
夏だというのに涼しいというよりは寒くてびっくりした。家から持って来ていた長袖を着て、乗合いの馬車に乗り込む。
馬車に乗ってから妹はそわそわと落ち着かなくなった。窓の風景を見ながら、感嘆の声ばかり上げている。
前にリツハルド叔父様が言っていたように、この国の緑は美しい。
鬱蒼とした祖国の森とは大違いだった。
私達は初めて明るい森というものを目にする。
この国は国土の大半が森と湖で構成されていると本で読んだことがあった。それを妹に教えてあげたら、ここは妖精の国だからね! と大いに喜んでいた。
妹は妖精の存在を信じている。
とは言っても、その理由となったリツハルド叔父様が本当の妖精みたいだから仕方がない話でもあるけれど。
真っ白な髪は太陽の光が当たれば銀色に輝く。
青い目は宝石のようにキラキラしていて、すごく綺麗。
睫毛は瞬きしたら音がしそうな位に長くて、肌も抜けるように白い。
絵本の中から出てきたような姿に、私も妹も夢中になった。
叔父様は森の中についても詳しかった。
蜜が取れる木に、食べられるお花、紅茶にして飲める葉っぱの種類はたくさん教えて貰った。
薄暗い森の中は怖い場所だと思っていたけれど、叔父様が案内をしてくれてからは私と妹の絶好の遊び場となった。当然、二人だけで森に入ってはいけないという言いつけもきちんと守っている。
周囲の景色に夢中になっているうちに、村へと到着した。
「――えっ!?」
妹は村の出入口を見て驚く。眼前には巨大な壁があったからだ。
お祖父様が説明をしてくれた。あれは村を円形に取り囲む城塞で、三世紀前に起こった獣害を防ぐために建設されたものだと。
「へえ、そうなんだ~」
「今は大丈夫だよ」
「本当? 熊とか出ない?」
「いやあ、熊は出な……」
急に黙り込んで空を見上げるお祖父様。
不安になったお父様が本当に大丈夫なのかと聞いて来る。
「いや、平気だと」
多分、と小さな声で言ったのは気にしないことにした。あの言い方だと、安全な熊なのかもしれない。
門に入る前に、小さな小屋から軍人が出て来た。
お祖父様が身分証を示せば、中へと案内してくれる。
城塞の中は鉄格子が二枚も降りていて、軍人が合図を送ればガラガラと音をたてて上がって行った。
途中にあった窓口でもお祖父様は何か書いていて、それが終わったら村の入口へと向かう。
「う、うわーー!!」
「……きれい」
驚いたことに、村の中も緑が豊かだった。森を抜けた先に民家があるという。
「あ、叔父様!」
民家が見える前に、リツハルド叔父様と出会った。私達を迎えに行く途中だったらしい。
「久しぶりだね。お姫様たち」
「叔父さまも!」
叔父様は近寄って行った私と妹をぎゅっと抱きしめてくれた。
一年振りに会ったので、嬉しくって泣きたくなる。
その後、叔父さまはお祖父様も抱きしめ、お父様にも手を広げてにっこりと微笑みかけていたけれど、気持ちだけ受け取っておくと言って断っていた。
リツハルド叔父様に再会をしてから、村を案内して貰うことにした。
「!?」
「……わ!」
真っ赤なレンガで作った家は可愛らしい。
けれど、それよりもびっくりしたのは、村人たちの姿。
みんな、リツハルド叔父様と同じような白髪に、青い目をしていた。
ここは、間違いなく妖精の村なのだ。
叔父様の家に辿り着くまで妹は放心状態であったが、今度は別の存在に驚くことになった。
お屋敷の門を開いて中へと入れば、ありえない生き物の後ろ姿を見ることに。
――巨大な白熊!?
気がつけば、私と妹は近くに居た叔父様の背後に隠れていた。
「あ~、エーデルガルド、アーデルトラウト、大丈夫だよ~」
「で、でで、でも、熊さんが! 大きい熊さん!」
「あれは優しい熊さんだから」
「!?」
叔父様の言葉を聞いて、まさかと思ってゆっくりとその姿を確認する。
良く見れば、本物の白熊ではなくて、毛皮を被った人だった。
でも、体が大きくて怖い。
「彼の名前はテオポロン。胸をね、ポンポンって挨拶をするから、二人も淑女の挨拶をするといいよ」
叔父様は大きな白熊さんに私達の紹介をしてくれた。
すると、言うとおり胸をトントンと叩く。
妹はスカートの裾を掴んでお辞儀をするのではなくて、白熊さんと同じように胸をぽんぽんと叩く挨拶を返していた。お父様も真面目な顔で同様の仕草を取る。
私はちょっと恥ずかしかったので、膝を軽く曲げるだけになってしまった。帰るまでには出来たらいいなと思う。
家の中に入ればジークリンデ叔母様が迎えてくれた。
胸の中には春に生まれたばかりの赤ちゃんを抱いている。
歩けるようになったアルノーも、私達を歓迎してくれた。
「うわあああ!! 可愛い!!」
「……本当に」
お祖父様が名前を付けたヴェロニカはぱっちりとした目に癖のある毛という、叔父様の特徴をそのままに生まれて来た女の子だった。
「この子は、将来美人になりそうだ」
お父様がリツハルド叔父様を見ながら言うので、叔母様から冷たい視線を浴びていた。
お祖父様はアルノーを膝に抱き、ゆりかごの中のヴェロニカを見ながらにっこりと笑顔で居る。
「いやあ、可愛い。本当に、可愛い子たちだ」
お祖父様は本当にうれしそう。
リツハルド叔父様のお話をする時、いつも寂しそうだったから、私もうれしい。
その後、昼食の時間となった。
食卓に並べられたのは、見たことがない食事ばかり。
中でもびっくりしたのはトナカイのお肉。
叔父様は癖があるかもと言っていたが、柔らかくっておいしかった。
ラズベリーで作ったソースも甘酸っぱくてお肉に合う。
デザートのブルーベリーパイもぺろりと食べてしまった。
妹と二人、いつもの小食が嘘のようだった。
この日は少し疲れたので早めに休んだ。
翌日は森の中にベリーを摘み、次の日は魚釣りに行った。
最終日は民族衣装を着て、村の子供達と少しだけ話した。
楽しい日々はあっという間に過ぎて行く。
叔父様家族と別れるときは、妹が大泣きして大変だった。
でも、リツハルド叔父様は、遊びに来てくれると言ったので、流れた涙も引っ込んでいた。単純な子で良かったと本当に思う。
妖精の村での思い出は、私達姉妹の胸の中の美しい記憶として刻まれることになった。
おわり
◇◇◇
『子どもたちと夏の森』・・・アルノーが生まれる前位のお話です。
●●●
本日は姪っ子と甥っこを連れて森の散策をする。
「叔父さま、今日はお姉さまとチーズクリーム・蜂蜜サンドを作って来たの!」
「へえ、美味しそうだね」
姪っ子姉妹は森の中で食べる軽食を作って来てくれたらしい。
パンに蜂蜜とクリームチーズを塗って挟んだシンプルなサンドはこの国の人々に愛される食事だとか。
今日のお出掛けの為に一生懸命作って来てくれたようで、微笑ましい気持ちになる。
ほんわかした気分になっていると、隣から深い溜め息が聞こえたので視線を落とす。
「はあ? 肉のサンドじゃないのか?」
姉妹にご意見をしているのは生意気盛りのクラウス。
サンドの入った籠を片手にご不満な様子だ。
その言葉を聞いたアーデルトラウトは、本日の品目の秘密が語る。
「叔父さまは蜂蜜がお好きなのよ」
「は?」
「お肉は食べないの!」
「叔父さん、普通に肉食ってたじゃん」
大きな声では言わずに姉妹に聞こえないような声で呟いていた。
そんな良い子・クラウス君の頭をぐりぐりと撫でたら、止めろと怒られてしまう。
年ごろの少年の扱いは難しいものである。
色々と文句を言いつつも、クラウスは森のお散歩に付き合ってくれた。
初夏の森は綺麗な花や、綺麗に生え揃った葉に囲まれている。
エーデルガルドとアーデルトラウトは花を見つければ駆け寄り、絵を描いて記録のようなものを取っていた。家に帰ったら図鑑を見ながら名前を調べるらしい。
「こんなの、何が楽しいんだ?」
「そう?」
自分は小さなころから緑が豊かな森を歩くと癒されるし、香草や薬草を見つけたら嬉しくなってしまうけれど、クラウスはそうではないと言う。
「だったらさ、サイダーでも作る?」
「は?」
「あ~、えと、この国のアプフェルヴァイン、みたいなものかな?」
アプフェルヴァインはリンゴを使った炭酸性の果実酒。
十年ほど前にこの国のお店でサイダーを頼んだら、炭酸リンゴ酒が出て来たので驚いた思い出を語って聞かせた。
「なんか、訳わかんないんだけど、森にある材料で炭酸水が作れるってこと?」
「そうだね。しかも、夏の始めにオススメな一品です」
「?」
花の観察をしていた姉妹を呼び寄せて、これからの予定を伝えた。
「叔父さま、どうかしたの?」
「よくぞ聞いてくれました。今から森にあるもので、手作りの炭酸ジュースを作りたいと思います」
見事、なんだそれはと二人とも食いついてくれた。
「叔父さま、何を使ってジュースを作るの?」
「ん、その木かな」
材料はちょうど目の前にあった。
「え、あれって松の木じゃん」
「良く知っているねえ、クラウス」
頭を撫でようと手を伸ばしたけれど、ついさっき怒られたばかりなのを思い出して、動きを止める。すぐさま軌道を変更して、エーデルガルドアーデルトラウトの頭を撫で撫でした。
「な、なんで何も言ってないエルとアルを撫でるんだよ」
だって、君、俺が撫でると怒るじゃん。
やっぱり年ごろの男の子は難しい。
意味もなく頭を撫でたのに、姉妹はにこにこと行為を受け入れてくれた。
「叔父さま、お花じゃなくて、松の木でジュースが出来るの?」
「そうだよ。葉っぱをね、瓶の中の水に漬けて数日太陽の光に晒していたら、炭酸水になるんだ」
「本当に!?」
「本当だよ。ちょっと葉っぱを取ってくるね」
俺の話を聞きながら目を輝かせる姉妹は可愛い。
クラウスは、詐欺師を見るような視線を向けていた。
サイダー用の松の葉は初夏の鮮やかな新芽を使わないと渋みが出てしまう。
なので、今の季節が最大のチャンスというわけだ。
真っ直ぐに生えた松の木を登って葉っぱを採取する。
生え際の黄色い部分はえぐみが発生するので、葉の途中から千切った。
途中、クラウスもしてみたいというので、木登りの方法を教えてあげた。
小さな籠いっぱいに松の葉を取れば、しばらく休憩にする。
クラウスは籠の中の葉っぱを訝しげな表情で眺めていた。
「叔父さん、これ、甘いのか?」
「どうかな? 生では食べたことないから分からない」
好奇心旺盛なクラウスは、生の松葉を掴んで食べる。
「!」
当然ながら、美味しい訳はない。口に含んですぐに吐き出していた。
「なんだこれ!」
「まあ、美味しくはないよね」
松の葉から甘い汁が滲み出てジュースになる訳では無いと説明する。
「どういうことなんだよ!」
「それは普通の葉っぱ」
「それを早く言えよ!!」
「ごめ~ん」
どうやってジュースが出来るかといえば、砂糖水に漬けた松葉の中にある酵母菌が太陽の光を浴びることによって菌が活発になって発生する。その菌が糖分を取り込み、増殖する動きの中で炭酸が発生するという仕組みだと父に教わった。
小さなころに何度か作ったが、父が無断で家の砂糖を使っていたことが祖父にバレて生産中止になってしまった悲しい思い出のあるジュースだった。
松葉ジュースの話で盛り上がりながら、蜂蜜サンドを食べて帰宅をする事になる。
帰って来たら早速ジュース作りを始める事にした。
「まずは鍋に水を張って沸騰させます」
作業を行うのは義父の牧場の片隅。
「クラウスはお砂糖を量って貰えるかな?」
「分かった」
クラウスには砂糖の計量をお任せする。
エーデルガルドとアーデルトラウトには松の葉の洗浄を任せした。
「あんまりばしゃばしゃ洗うと酵母の反応が薄くなるから、軽くでいいよ」
姉妹に指示を出してから、自分は瓶の煮沸と砂糖水の作成に取り掛かる。
使う瓶は義父が飲み干した酒瓶。それを消毒する為に鍋で煮込む。
二つ目の鍋は水を沸騰させるだけ。これは飲料用のもの。
煮沸消毒が済めば、瓶を乾燥させる。
沸騰させた水には砂糖を入れて混ぜた。
湯を冷ます間、義父の牧場のお手伝いをした。
ご褒美に出来たての腸詰めを頂いてしまう。
二時間後、湯が冷めたか確認をして、大丈夫だったら次の作業に取り掛かる。
「松の葉を瓶にぎゅうぎゅうに詰めて貰えるかな」
二本の瓶に軽く洗った松の葉を入れた。その中に、砂糖水を入れて準備は完成。
「栓で止めないで、布を被せて紐で巻くんだよ」
その理由はきっちり蓋をしたら発酵の力で瓶が破裂する可能性があるからだ。
夜になれば菌の活動も収まるので、炭酸が飛ばないように蓋をする。
数日放置をすれば、炭酸のジュースが完成するという訳だ。
完成した炭酸水は乳酸菌や酢酸菌も発生しているので酸味がある。
酸っぱかったら蜂蜜や擦った果実などを入れて味を調節するのだ。
琥珀色の炭酸水に蜂蜜を垂らしたものを、生産協力人で試飲。
「うわ~、しゅわしゅわして甘~い」
「……おいしい」
「まあまあ、だな」
さっぱりとした微炭酸の飲料は優しい味わいがある。
サイダーは子供達にこの上なく好評で、また後日、森の中に入って作る事になった。
終わり。
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『子どもたちの観察日記帳』・・・ジークの実家に滞在中に起こったクラウスと幼い姉妹のささやかな事件
「ばーーっか! んなわけないだろう!」
「馬鹿じゃないもんーー! 本当だもんーー!」
激しく揉めているのはヴァッティン家長男の息子のクラウスと、三男の娘アーデルトラウト。エーデルガルドは二人から少し離れた場所でおろおろとしている。
「リツハルド叔父さんが妖精とか馬鹿じゃん!」
「違うもん! 妖精さんだもん!」
何故、このような事態になっていたかと言えば、姉妹が仲良く妖精の絵を描いている所をクラウスがのぞき込み、それが彼女らの叔父だと気付いたことがきっかけだった。
アーデルトラウトの絵は雪のような風景の中に居る人のようなものを描いていたが、エーデルガルドの絵は雪の中で佇む幻想的な雪妖精の姿を上手に描いていた。
白髪を三つ編みにした青い目を持つ者という特徴を掴んでいれば、それがリツハルドであることは一目瞭然だったという訳である。
それを見たクラウスは「叔父さんは妖精じゃないんだから」と軽くからかったつもりであったが、妖精だと信じて疑わないアーデルトラウトの怒りに火を点けてしまったのだ。
「あの人のどこが妖精なんだよ、普通のおじさん予備軍じゃんか!」
「叔父さまは軍人さんじゃないもん!」
「そういう意味じゃねえよ」
「お花だって食べるし!」
「はあ、なんだそりゃあ!?」
突然部屋の外へと駆けだすアーデルトラウト。その後に続くエーデルガルド。
数分後、花を握ったアーデルトラウトが帰って来る。
「これ、叔父さまにあげるわ」
「……いや、そんなのを食べさせるとか、気の毒だろ」
「どうして!? お花は大好きって言っていたわ!!」
「お前が期待を込めて持って行けば、無理にでも食べるしかないだろうと」
「だったらお手伝いさんに持って行って貰う!!」
アーデルトラウトはリツハルドが花を受け取ってどうするかを、窓から覗いて確認すればいいと言った。
早速、その辺に居た使用人を捕まえて、庭から摘んできた花をリツハルドへ持って行くように手渡す。
そして、子供達は走った。リツハルドの部屋が覗ける窓のある場所へと。
アーデルトラウトの視線が届かない場所に窓があったので、庭師に言って木製の箱を借りて、それを台にして部屋を覗き込む。
部屋には仲良く長椅子に並んで座る叔父夫婦の姿があった。
ちょうど使用人が頼んでいた花を持って来ている所で、なんとか間に合ったとクラウスはホッとする。
「わ、来たむぐ!」
元気良く報告して来たアーデルトラウトの口をクラウスが慌てて塞いだ。
カーテンの隙間から部屋の様子を見ていたが、幸いなことに覗き行為は気づかれていないようで、ほっと安堵の息を吐く。
使用人から花を受け取ったリツハルドは、姪からの贈り物だと聞いて淡く微笑んだ。
花の香りを楽しんで、更に笑みを深める。
使用人は一礼して部屋から出て行った。
ここからが問題だと、三人の子供達は息を呑んで叔父の一挙一動を見守る。
しばらく花の茎を指先でくるくると転がしながら、妻、ジークリンデに話し掛けるリツハルド。
ジークリンデは目を泳がせて、落ち着かないような表情となっている。
「叔父さまは何を仰っているのかしら? あんな風に叔母さまが照れているのを始めてみたわ」
「……」
あれは照れているのかと、改めて伯母の様子を確認するクラウス。確かに、羞恥心を感じているからか頬は紅く染まっているように見えた。
これはもしかして、幼い姉妹には見せてはいけない光景が始まるのかもしれないとクラウスは勘付き始めていたが、この後どうなるのかも気になって動けなくなっていた。
リツハルドはジークリンデの肩を抱いて近くに体を寄せる。手を握ってから耳元で何かを囁き、手にしていた花を赤い髪に挿す。
再び、なにか妻の耳元で囁けば、あっという間に顔全体を真っ赤にしている叔母の表情を目撃する事となった。
「も、もう、行こう!」
クラウスはそんな風に言って姉妹を連れ出した。
◇◇◇
「はあ、素敵だったわ~」
うっとりとしながら感想を述べるアーデルトラウト。エーデルガルドも妹と同じような感想を抱いていたように見える。
「また、お花を持って行けばいいわ。今度は叔母さまが居ない時間に」
「いや、いい」
「え?」
「リツハルド叔父さんは、人じゃない事が分かった」
「本当に!?」
「ああ」
クラウスは思う。
あの、獰猛なだけの叔母をあんな風にでれでれ状態にする芸当は人間には無理だと。
「お、叔父さんは、本当に、妖精なのかもしれない」
「ねえ、そうでしょう!?」
骨抜き状態となった叔母の姿を思い出してぞっとしてしまうクラウス。
ああいう場面を目撃してしまえば、従妹たちの意見に同意せざるを得なかったという。
おわり。
●●●
『じじいのお楽しみ』・・・時期は70話アルノーの活動日誌のあと位。リツハルドのお祖父さん視点です。
●○○
今日は孫夫婦と曾孫達が遊びに来る日。
この日をどれだけ楽しみにしていたかは言葉に出来ない。
一番若かった孫であるリツハルドも五人の子供の父親となっていた。
三歳となる末の息子、エレンフリートとは初めて会う。人見知りをされないか心配だ。
熊の被り物は以前ウルリヒに泣かれた事があるので、寝室に飾るだけにしている。
この日を迎えるにあたり、ヴェロニカの為にたくさん新しい本を買った。気に入る本があるだろうか。
クリムヒルデはちょっとは大人しくなったのかも気になる所だ。全く、あのお転婆娘は一体誰に似たのか。
アルノーは毎月マメに手紙を送ってくれていた。文面からしてしっかりして来たと、その成長が嬉しくなる。
執事から孫家族の到着を知らされる。
玄関まで迎えに行きたいところだったが、ぐっと我慢をした。
特別に発注した八人掛けの長椅子に座り、待機をしていれば、元気良く扉が叩かれる。
「――入れ」
「ひいお祖父様ーー!!」
扉が開くのと同時に弾丸のように飛び出して来たのはクリムヒルデ。
なんとかその体を受け止めることが出来て安堵の息を吐く。
全く、お前は私を殺す気か! と怒鳴ろうとしたが……。
「ひいお祖父様、とってもとっても会いたかったわ!」
こんな事を言われてしまえば文句も喉の奥へと引っ込んでしまう。
クリムヒルデに遅れて、他のひ孫たちも続々とやって来る。
「曾お祖父様、お久しぶりです」
「うむ、久しいな。ああ、そうだ。ヴェロニカよ、先日、ふと、本を読みたいと思い、何十冊か買ったから、あとで書斎を覗くとよい」
「は、はい、楽しみです」
控えめな微笑みを浮かべていたヴェロニカだったが、本の話になった途端にぱっと花が綻ぶような笑顔を浮かべていた。
「曾お祖父様、お久ぶりです」
「おお、アルノーか」
ウルリヒと手を繋いでやって来たアルノー。随分大きくなった。相変わらず母親に似て精悍な顔をしている。
のんびり屋のウルリヒは言葉も発しないまま抱きついて来たので抱き返してやる。
「リル、曾お祖父様のお膝の上、交代して」
「いやよ!」
「こら、二人とも喧嘩をするんじゃない! 膝の上も曾お祖父様の負担になるから降りるんだ」
「なんでよ! アルノーお兄ちゃんの小姑気質!」
「なっ!? リル、そんな言葉、どこで覚えて来るんだ!?」
私を巡って喧嘩を始めるひ孫たち。
またとないモテ期に困ってしまう。いいぞ、もっとやれ。
「うわ、もう、みんな揃ってお祖父さんに
最後にやって来たのは孫夫婦とエレンフリート。
「あ、お祖父さん、お久しぶりです!」
「ああ」
「お義祖父様、お元気そうでなによりです」
「同じ言葉を返そう」
三年振りの夫婦は相変わらず仲が良さそうだ。
「おい、エレンフリートをよく見せてくれ」
「は~い」
リツハルドが抱いている末っ子は、こちらを不思議そうに見ていた。
「エレンフリートよ、初に目にかかる」
「……はい、はじめまして!」
「エレン、ひいお祖父さんだよ」
「ひい、おじいさま?」
「そう。お祖父さんのお父さんだよ」
こちらが手を広げれば、エレンフリートも手を伸ばしてくれる。
末っ子は父親に似たのか驚くほど懐っこい子供だ。
初対面にも関わらず、安心しきって体を寄せている。
「ジークリンデよ」
「はい」
「こちらに」
近う寄れと言えば、きびきびとした動きでやって来て、目の前に片膝をつく。
「よく頑張った。子供を五人も産むなど、大したことだ。私は誇らしく思うぞ」
「ありがとう、ござます」
エレンフリートをジークリンデに託し、離れる前に肩を軽く抱く。
「リツハルド」
「はい!」
まだ名前を呼んだだけなのに、素早くこちらにやって来て目の前にしゃがみ込む。
「お前は化け物か!」
「え?」
一人だけ若作りをしてからに、と思っていたが、間近で良く見てみれば目の下などに皺が刻まれている。笑えばそれはさらに深くなった。
リツハルドにもしっかり老いはやって来ている。その事実にどこかホッとしてしまった。
「――……」
何か、言おうとしたが、言葉にならなかった。
込み上げて来るものがあり、顔を手で覆う。
「お祖父さん」
「……」
「しばらくさ、みんなでここに住もうかなって」
「……」
リツハルドは年寄りの体を抱きしめ、背中をぽんぽんと叩いて来る。
「領主の仕事は全部父さんに押し付けてきたから」
「あ、ああ、そうか。それは、愉快な、ことだ」
年を取ると本当に駄目になる。
孫に慰められるとは思いもしなかった。
しばらくはこの静かな屋敷も賑やかになりそうだ。
あれこれとやりたいことが山積みになり、忙しい日々になりそうだと気合いを入れ直してしまった。
おわり。
◇◇◇