エメリヒの新婚日記、キャベツとベーコンのスープを添えて
リクエスト作品。エメリヒ視点です。
田舎暮らしをすることになってからしばらく経った後、リツ君からそろそろほとぼりも冷めたようだという連絡が届いたので、アイナちゃんを村に返すことにした。
勿論、俺もそのまま村に移住するつもりでいる。
村を発つ為に準備を行っていたが、ある問題が生じる。
飼っているヤギについてだ。
ヤギは船で連れていけないし、冬の寒さに耐えきれないだろうから叔父さんに返すことになった。
叔父さんは最後の食事会で飼っていたヤギを食べようと言っていたが、可哀想だから止めてくれと懇願することになった。
あのヤギには何度も蹴られたが、毎日顔を合わせていたので情が湧いていた。
毛並みが良くなって体もムチムチしていて、美味しそうになっていると叔父さんは言っていたが、こちらが涙目になっているのに気づいていたからか、食べることは諦めてくれた。
って言うか、あれは搾乳用のヤギなので、そこまで美味しくないのでは!? と思ってしまう。
いや、家畜の肉質事情についてよく知らないけれど。
アイナちゃんに良かったねと言ったら、「なにが?」と聞き返された。
毎日可愛がっているヤギが捌かれずに済んだよと言えば、「家畜は食べるものでしょう」と言われる。話を聞けば、彼女の村でも雪のない春から秋にかけて家畜を飼って、冬になる前に食べるということをしていたらしい。
毎日せっせとお世話をしていたから、てっきり可愛がっているものだといたのだ。
さすが、狩猟民族と言うか、割り切って接していたんだなあと感心する。
まあ、とにかく、ヤギはこれまで通り、搾乳用として飼ってくれとお願いをしておいた。
家の中の物はほとんど譲るか処分をするかをして、片付けることになった。
衣食住は心配していない。
住居は以前リツ君と交渉していた所があるし、民族衣装もアイナちゃんが作ってくれると言っていた。狩猟などはジークリンデが教えてくれるらしい。ありがたいお話であった。
自分達の荷物は各々鞄一個に詰める。
土産物の方が多くなっていた。
出発の夜に、贈り物を渡そうと、敷物の上に座っていた彼女の隣に腰掛ける。
先日、出張で都に行った時に買っていた品であった。
「ア、アイナちゃん」
「なに?」
縫い物をしている途中だったからか、不機嫌な声色の返事が返ってきた。
めげずに次の言葉を発する。
「これ、あの、よろしかったら」
差し出した四角い箱に入った包みを不思議そうな顔で見つめる。
「何? またチョコレート?」
「いや、今回はチョコレートじゃ、なくって」
都に出張に行った時に何をお土産に買っていいか分からず、無難なチョコレートを買って帰ったことがあった。
受け取った彼女が喜んでくれたので、それから何度かチョコレートを土産に渡していたので、今回も同じ物だと思ったのだろう。
今思えば、もっと他のお菓子も買えば良かったと後悔をする。
いくら初めて渡した時にアイナちゃんが喜んだからと言って、馬鹿の一つ覚えみたいに毎回同じ物を買ってくることもなかったのだ。
まあ、それはいいとして。
アイナちゃんは警戒したような目付きで包みを受け取る。
こんなに不審がられているなんて、俺って信頼ないなと思った。
でも、眉間に皺を寄せるアイナちゃんも可愛いので、即座にどうでも良くなる。
するりとリボンを解いてから、慎重な手つきで包装紙を開く真剣な姿は、いつまでも眺めていたい。
箱を開いた彼女の目は、見開かれる。贈った品は銀製の胸飾り。
以前、リツ君に「村人達の一番の宝物は銀の胸飾りなんだ」という話を聞いていたので、贈り物として選んだ。
本当ならば、結婚指輪とかも渡したかったけれど、向こうには指輪を贈る習慣はないみたいだし、仕事をする時にも邪魔になりそうだったから止めた。お金がなかったと言うのも本音の一つでもある。
アイナちゃんはハッとしたように俺の顔を見る。
びっくりしているからか、頬がだんだんと紅く染まっていって可愛らしい。
「これ、私、に?」
コクリと頷けば、そっと指先で胸飾りを掴む。
「か、かわいい」
どうやらお気に召してくれたようだ。
宝飾店で購入をしたのは、猫の胸飾り。くるりと曲がった尻尾がロッサに似ている。
アイナちゃんは目を輝かせながら、近くに寄ってきた猫さんに胸飾りを見せていた。
「ねえ、見て、ロッサ、あなたみたい! とってもかわいいわ!」
その笑顔、ロッサさんじゃなくて、俺に向けて欲しかった。
いや、贅沢な話か。
贈り物を気に入ってくれただけでも、大変なご褒美である。
立ち上がろうとすれば、アイナちゃんが袖を掴んできた。
何事かと、びっくりした顔で見下ろしてしまう。
彼女の口からは、思いがけない言葉が出てきた。
「あ、ありがとう」
「!」
ロッサを片手で抱きながら、上目遣いで照れたような顔でお礼を言ってくれるアイナちゃん。
もう、可愛くって、可愛くって、以下略。
このようにして、移住先での最後の夜は過ぎて行った。
◇◇◇
俺とアイナちゃんはリツ君の村に戻ってきた。あ、猫のロッサも一緒だ。
港に着けば、彼女の母親が迎えに来てくれていた。
母娘は抱擁をしながら再会を喜んでいる。
「ダーヴィットさん、本当にありがとうございました!」
お礼を言われて、なんだか申し訳ないような気分になる。
国に連れて帰っても、稼ぎが少ないので彼女には苦労ばかりさせてしまった。
田舎に移り住めば、アイナちゃんが森で摘んできたキノコや川で釣ってきた魚なども食卓に上がることがあった。
毎日楽しかったし、料理も全部美味しかった。幸せな思いをさせて貰って、お礼を言わなければならないのはこちらだと、頭を深々と下げる。
彼女のお母さんとのお礼合戦は、籠の中のロッサのくしゃみによって終息することになった。
村の城塞の前で懐かしの領主夫婦と再開することになる。
とはいっても、向こうの国でも何回か顔を合わせることがあったが、こうして民族衣装を纏って並んでいる姿は久々なので、随分と会っていないような感覚になってしまう。
「エメリヒ、よく来てくれたね! アイナもお帰りなさい!」
歓迎して貰えて、嬉しくなった。アイナちゃんも同じ思いだろう。
二人の元気そうな姿を見て、ホッとする。
ジークリンデは子供を産んだからか、顔付きが随分と優しくなっていた。
ちなみに、息子さんは家でお母さんが面倒を見ているという。
リツ君にそっくりだという噂の御母堂に会うのも楽しみだ。
二人と別れて、アイナちゃんの実家に向かう。
家の中には、恐ろしいお祖父さんが居るのでビビッていたら、アイナちゃんのお母さんが心配はいらないと励ましてくれた。
その言葉の意味はすぐに理解することになる。
アイナちゃんのお祖父さんは、すっかり意気消沈した姿で居た。
帰ってきた孫娘の姿を見るなり、大粒の涙を流し始める。
お祖父さんもいろいろと反省したと言っていた。
そして、あっさりと俺たちの結婚が認められる。
◇◇◇
朝。
ロッサがお腹をふみふみしている動きで目が覚めた。
薄目を開ければ、外はまだ暗いことが分かる。
もう少し寝かせてくれとお願いしたら、ふみふみの力が強くなった。
「うう、すみません、ロッサさん、もう少しだけ……」
「ロッサじゃないわ!」
「!」
びっくりして目を覚ます。
てっきりロッサが餌を用意しろと、俺の腹を踏んでいると思いきや、相手は猫ではなくてアイニャちゃん、じゃなく、アイナちゃんだったのだ。
一体何用かと聞けば、外に行って雪の中から野菜を掘り返して欲しいとお願いされる。
「私、パン焼くので忙しいから」
「わ、分かりました」
朝食のスープに使う野菜だと言うので、急いで取りに行く。
庭に埋まっている野菜は初雪が降って積もれば、すぐに埋めるようになっているらしい。
天然の保冷庫という訳だ。
しかも、『雪中野菜』と呼ばれる野菜達は、甘くて美味しい。
リツ君の話によれば、野菜が雪の中で凍ってしまわないように、水分を甘味成分に変化させるからだと言っていた。さすが、学者さんの息子だと思う。彼は何でも知っていた。
外に出たら、いつも野菜が埋まってある辺りをザックザクとスコップを使って掘り返す。
枝を掘り当てたら、近くに野菜が埋まっているという証拠。柄の短い物に変えてから野菜を傷つけないように慎重になって掘り進めるのだ。
どこに何が埋まっているかは謎である。宝探しと同じような感覚だった。
本日はキャベツを掘り当てる。
家に帰れば、パンの焼ける香ばしい匂いが漂っていた。一気に幸せな気分になった。
手渡したキャベツは早速調理される。
アイナちゃんは暖かいコーヒーを淹れてくれていた。それを飲みながら、彼女の調理をしている姿を眺める。
大鍋の中にキャベツを丸ごと入れて、しばし湯の中で煮込む。
吊るしていたイノシシ肉のベーコンを取り、分厚く切っていった。
湯から上げたキャベツは十字に切り目を入れて、葉と葉の間にぎゅうぎゅうとベーコンを詰めていく。形が崩れないようにキャベツを紐で縛ってから、別に仕込んでおいた澄ましスープの中に入れて、コトコト煮込んでいく。
中のキャベツに十分に火が通り、香辛料や塩などで軽く味付けをすれば完成。
再び鍋の中のキャベツはまな板の上に出されて、紐を切ってから四等分に切り分ける。
お皿には四分の一の大きさに切ったキャベツが盛り付けられた。アイナちゃんのお皿にも同様に。後から澄んだ琥珀色のスープが深型のお皿に注がれる。
残りのキャベツとベーコンは細かく刻んで鍋の中に戻された。後で彼女の実家に持って行くらしい。
焼きたてのパンと、トロトロキャベツのスープ。
朝から素晴らしいごちそうであった。
精霊様にお祈りをしてから、食事にありつく。
丸い黒麦パンは二つに割ったら白い湯気が出てくる。
一口大にするまで我慢できなくて噛り付けば、外はカリカリで中はもっちりという、焼きたてのパン限定の贅沢な食感を味わうことに。
握り拳程の大きなキャベツにはナイフを入れる。
力を入れなくてもすっとナイフが入っていった。途中でベーコンに行き当たり、ひと思いにザックリと切り分ける。
まずは匙でキャベツだけを掬って食べる。
キャベツはトロトロで、信じられない位甘い。ベーコンのしっかりとした歯ごたえと塩気もいい。二つを合わせて食べると何とも言えない美味しさが舌の上を楽しませてくれる。
ハッと気が付けば、アイナちゃんはまだ食事に手を付けていないことに気付いた。
一人でがっついていたのを見られていたようである。
恥ずかしい思いをしながらも、感想を言って誤魔化した。
「アイナちゃん、とっても美味しいです」
「あっそ」と冷たくあしらわれると思いきや、アイナちゃんは淡く微笑みながら「良かった」と呟いていた。
――うわ、アイナちゃん、すごくかわい(以下略)
こんな感じで新婚生活は続いていく。
日々、ここは楽園かと思うこととなった。