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没落令嬢フランセットの、二年前の記憶

 こちらのほうこそよろしくお願いいたします、と頭を深々と下げる前に、ふと気づく。


「そういえば、うちの醜聞スキャンダル――姉アデルがマエル殿下に婚約破棄された話は詳しくご存じ?」

「え? あ……さあ」

「詳しく知っていてほしいの。結婚するかどうかは、話を聞いてからでも構わないわ」

「いえ、ですが」

「聞いて」

「はい」


 今、実家であるメルクール公爵家が社交界でどういった立場でいるかどうか確認してから、結婚を決めたほうがいいだろう。

 二度と思い出したくない、辛い記憶である。

 それは、今から二年前の話だった。


 ◇◇◇


 華やかな社交界デビューの晩。 

 私は流行のドレスをまとい、心を躍らせ参加していた。

 けれども、楽しい気持ちがきれいさっぱり消え失せるほどの騒ぎが起きる。

 王太子マエル殿下が愛人ヴィクトリアの肩を抱きつつ、大勢の参加者の前で婚約者である姉を糾弾したのだ。


「我が婚約者アデルは、ヴィクトリアを長きにわたり侮辱した! このような陰険で浅慮、冷徹な女が、未来の国母など寒気がする! 婚約は、破棄させてもらう!」


 私は見逃さなかった。マエル殿下に身を寄せるヴィクトリアが勝ち誇ったような表情を、一瞬浮かべたのを。

 多くの人達が集まった夜会の場で、姉の名誉はズタズタに裂かれた。


「アデル・ド・ブランシャールを国外追放とする!」


 何を言っているのか。一瞬、理解できなかった。

 愛人を傍に置き、自由気ままに過ごしていたマエル殿下が、自らの行いを正当化させるためにこのような茶番を起こしたのか。

 わからない。


「アデルの妹は――あそこか。罪を犯した姉を恨むことだな!!」

「……」

「実家のメルクール公爵家は財産を没収! 爵位も返上しろ。家族は辺境送りにでもしておけ!」


 私の周囲にいた人々は、サーッと離れていった。

 先ほどまで社交界デビューする私を温かく見つめていた人々の目は、一気に冷え切ったものとなる。

 ゾクッと悪寒が走り、胃の辺りがスーッと冷えていくような不快感を覚えた。


 どうやら姉だけでなく、両親や私までも罰せられるようだ。

 それにしても、なんという仕打ちをしてくれるのか。

 あのヴィクトリアという女性は、商人の娘だ。貴族でもなんでもない。

 たぐいまれなる美貌を武器に、マエル殿下に近づいた。

 社交界の礼儀やしきたりを知らないヴィクトリアは、かしずくだけの女性を相手にしてきたマエル殿下には珍しく、新鮮に映ったのだろう。

 彼女はマエル殿下を連れ出し、博打や喫煙、飲酒と、思いつく限りの娯楽を教えたという。それを、品行方正、清廉潔白、誰よりも貴族らしい姉が許すわけがない。

 マエル殿下にいくら物申しても言うことを聞かないので、ヴィクトリアに直接意見したのだ。それを、マエル殿下は嫉妬からいじめていると決めつけた。

 姉はヴィクトリアを公妾こうしょうとして、受け入れるための準備をしていたというのに。それすら、ヴィクトリアは屈辱的な行為だと思っていたのだろう。

 正妃教育を受けていない女性が、王太子妃になれるわけがないのに。


 姉は凜と、マエル殿下を見上げているようだった。背中しか見えないので、どんな顔をしているのかはわからない。

 悔しいだろう。憎たらしいだろう。

 今すぐ駆け寄って、姉を抱きしめたい。

 けれども周囲の目が恐ろしくて、足がすくんで動けなかった。

 突然婚約破棄するマエル殿下が怖い。けれどもそれ以上に、他人の言動ひとつで態度を変える人々もまた、恐ろしかった。


「そうだ。あそこにいる妹は、今日が社交界デビューだったか。仲がいいと言っていたな。どうだ、一緒に国外追放させるのは?」

「マエル殿下、それだけはお止めください。妹は、わたくしの所業とは関係ありませんので」

「お前が私に言ったのだろう? 責任ある立場の者の一挙一動は、自分だけではなく、身内にも影響を及ぼすと!」


 これまで凜としていた姉が、しおれた花のようにうつむく。私のせいで、言い負かされてしまった。


「アデルの妹は――どこにいたか?」


 居場所などわかっているはずなのに、わざとらしく探すような仕草を取る。

 すぐに、私から距離を取っていた者達が指を差した。針のむしろとは、こういう状態を言うのだろう。


「アデルの妹を、姉と共に捕らえろ!!」

「兄上、お待ちください」


 マエル殿下の命令を制止したのは、第二王子であり、ドラゴン大公でもあるアクセル殿下。

 金色の髪を撫で上げ、毅然と佇む姿は美しい。普段、口数が少ないアクセル殿下の発言に、誰もが耳を傾ける。


「なんだ、アクセル! 邪魔をするな!」

「彼女らは、メルクール公爵家の娘達です」

「だから、なんと言うのか?」

「メルクール公爵の妻であるメルクール公爵夫人は、隣国の皇女殿下。その娘である姉妹を、ぞんざいに扱うのはどうかと思います」

「うるさい、だまれ!!」


 姉は騎士達に連行されてしまった。私は――見ず知らずの女性に手を引かれ、会場をあとにする。

 その女性は、アクセル殿下の元乳母だと名乗った。

 乳母の手引きで私はなんとか王城を脱出し、帰宅する。

 だが、屋敷には多くの騎士達が押し寄せ、調度品などが押収されていた。


 我が家は、一晩にして没落してしまった。

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