没落令嬢フランセットは、流れ星に誓う
事件から三か月も経つと、スプリヌ地方にも平和が訪れる。
没収されたメルクール公爵家の財産及び屋敷は返還された。だが、父はしばらく質素な暮らしをすることを望み、屋敷は分家の者に託して、自らは下町の家で暮らしているようだ。愛人との関係もすべて絶ち、真面目に仕事をする毎日だという。
よほど、母や姉に怒られたに違いない。
マクシム・マイヤールがガブリエルからせしめた二十万フランもきっちり返還されたようで、私も借金返済から解放されたわけである。
持参金やスプリヌ地方にやってきた際にかかった準備費用も、父がきっちり用意してくれたようで、ホッと胸をなで下ろした。
採用が決まったディアーヌとリリアーヌだが、王都の社交界で華麗に活躍していた。
美しい姉妹が勧めるお菓子や化粧品は、どれも大人気商品となり、生産が追いつかないくらいである。
やはり、こういう仕事が向いているのではと思っていたのだ。
結婚話も浮上したようだが、姉妹は断っているという。
今の仕事が楽しいようで、結婚なんてしている場合ではないと言っているようだ。
なんていうか、彼女らも変わった。
以前までは人生は結婚がすべてだと言わんばかりだったのに。
相変わらず、姉妹とは打ち解けているわけではないものの、お互いに相応しい場所で頑張ろうと心の中で応援している。
秋になると、エスカルゴの捕獲と出荷で忙しくなった。
加えてトリュフも、大量に注文が入る。
湖水地方の名物として、王都で評判となりつつあるらしい。
観光客も増えつつあるようで、これからますますスプリヌ地方は賑わうだろう。
目が回るような日々であったが、ある日ガブリエルからデートのお誘いがあった。
なんでも、スプリヌ地方では年に一度、流星群が観測されるらしい。一緒に観ないかと、誘われたのだ。もちろん、喜んでと返す。
デートなんて、生まれて初めてである。
コンスタンスにどんなドレスがいいか相談したら、胸元が大きく開いたピーコックグリーンのドレスを用意してくれた。
これは少々露出が高くないか。そう思った瞬間、リコが分厚い外套を用意してくれる。
夜は冷えるので、防寒したほうがいいらしい。ココが毛皮の襟巻きを巻いてくれた。
最後にニコが、アレクサンドリーヌを膝に置いていたら温かいと託してくれた。
約束の時間となり、ガブリエルの部屋へと向かう。
「フラン、ようこそ。どうぞこちらへ」
「え、ええ。ありがとう」
ガブリエルの部屋の
温かいスープと、カナッペやサンドイッチなどの軽食、果物の盛り合わせにベリーパイなどのスイーツ、ホットワインなども用意されていた。至れり尽くせりというわけである。
「まあ、すてき! まるでパーティーだわ」
「流星群が見られなくても楽しめるように、いろいろ用意してみました」
「ありがとう」
ガブリエルは眼鏡のブリッジを素早く押し上げていた。
その行為は、照れたときにするものだというのを最近気づいた。
他にも癖がないか、探している最中である。
「じゃあ、ガブリエル。本日の抱擁をしましょう」
「業務連絡のようですね」
「ロマンチックに誘う方法は、よくわからないのよ」
「あなたらしくていいと思います」
一日一回、抱擁するという約束は、欠かすことなく行われていた。
毎日していたら慣れるのではないか、というガブリエルの提案からするようになったが、いまだに新鮮な気持ちで照れている。
本日も、無駄にドキドキしてしまったのは言うまでもない。
「今日は、お風呂に入ってきたのね。いつもの匂いに、石鹸やシャンプーの匂いが少しだけ混ざっているわ」
「なんですか、いつもの匂いって?」
「ガブリエルの匂いよ。香水の匂い?」
「いいえ、香水は付けていないです。おそらく、服に残った洗剤の香りとか、体臭とか、いろんなものが混ざったものではないのかなと」
「そうかもしれないわ」
いつもと少しだけ匂いが違ったので、余計にドキドキしてしまったのかもしれない。
「匂いをかがれていたなんで、知りませんでした。普通に恥ずかしいです」
「ごめんなさい。なんていうか、かいでいると、ホッとするの」
「ホッとする……。まあ、気持ちはわからなくもないのですが」
ガブリエルもまた、私の傍に寄ると香る匂いが落ち着くという。
お互い様ということで、許してもらおう。
長椅子に並んで腰かける。膝の上にいるアレクサンドリーヌは、大人しくしていた。
最近はガブリエルに慣れたのか、喧嘩をふっかけることもなくなった。
「アレクサンドリーヌ、なんだかうとうとしていますね」
「三十七回目のお見合いをして、雄のアヒルと戦ったようなの」
獰猛アレクサンドリーヌの名は健在で、せっかくニコがお見合い相手を探してきても、受け入れようとしないらしい。今日は跳び蹴りをしそうになったので、ニコが全力で止めたようだ。
「まあ、結婚だけが幸せのすべてではありませんから」
「本当に、そう思うわ」
ガブリエルは険しい表情で、私を見る。何か変なことを言ったのか、と言動を振り返ってみる。おそらくだが、結婚しなくても幸せだという旨を発言したからだろう。
「結婚しても、しなくても、人は幸せになれるっていうだけの話だから」
「よかったです。この場で、婚約破棄されるのではないかと、ドキドキしました」
「大げさね」
ガブリエルは遠い目をしながら言う。これまで、私にいいところを見せられなかったと。
「いいところしか、見ていなかったと思っているけれど」
「何かありましたっけ?」
「初めて出会ったときに、颯爽と登場して助けてくれたこととか」
「颯爽と……? 生け垣の隙間から、這いつくばって登場した、かっこ悪いとしか言えない状況だったように記憶していますが」
「そうだったわね。なんだか、記憶をねつ造して――あ!!」
這いつくばって登場するガブリエルという当時の様子を思い出していたら、引っかかる点があった。
同じような状況のガブリエルを、過去に目撃していたのだ。すぐに、それがいつだったか思い出す。
「私、社交界デビューの晩に、あなたに会っているわ!!」
ガブリエルは飲んでいたワインをすべて噴き出した。
「ちょっと、大丈夫!?」
「げほっ、げほっ! うっ……だ、大丈夫、ではないかもしれません」
ガブリエルの背中を摩り、落ち着くまで待つ。
息が整ったところで、初めて出会った晩について話す。
「あなたたしか、会場の廊下で、蹲っていたわよね?」
「ええ、まあ」
「いやだわ。どうして今まで忘れていたのかしら」
「一生、忘れていてほしかったのですが」
「どうして?」
「だって、かっこ悪いでしょう?」
「いいえ、そんなことないわ。誰にだって、具合が悪い時はあるし」
ガブリエルは背中を丸め、ずーんと落ち込んでいた。
そんな彼の手を握って、訴える。
「今、思い出したの。姉が婚約破棄と国外追放されたときに、皆、蔑むような目で私を見ていたの。でも、あなただけは辛そうに、顔を背けていた」
気の毒に思ってくれる人も中にはいたのだと、励まされるような気持ちになった記憶が甦ってきた。
当時の記憶が衝撃的過ぎて、今日まですっかり忘れていたけれど。
「私は、アクセル殿下のように、フラン、あなたを助けられませんでした。それが、どうしようもなく情けなくて……。あの日の感謝ですら、できないようないくじなしなんです」
「それでよかったのよ、きっと」
あの時、助けられていたら、私は誰かに依存して暮らすことしかできない女になっていただろう。
「今、スプリヌ地方で働く自分を誇りに思っているの。ひとりだけでは、なしえなかった。ガブリエル、あなたの力があったから、やってこられたのよ」
「フラン……」
ガブリエルも手をきゅっと握り返してくれた。
ふいに、膝の上で大人しくしていたアレクサンドリーヌが、空を見上げて「グワッ!」と鳴いた。つられて、私とガブリエルも空を見上げる。
「あ、流星群!」
流れ星が空を駆けていく。一瞬しか見えないものの、次々と星々が流れていった。
「きれい……!」
「ええ」
星が流れる一瞬のうちに、願いを唱えると叶う、などという伝説があるという。
「フランは何を願いますか?」
「それは――」
ガブリエルの耳元で囁く。あなたと幸せな結婚ができますように、と。
しばし見つめ合う。ガブリエルは眼鏡を外し、胸ポケットにしまう。
そして、彼の指先が私の顎にそっと添えられた。瞼を閉じると、優しくキスされた。
胸の鼓動が激しく脈打つ。密着しているので、どうかガブリエルにバレませんようにと願った。たくさん流れ星が夜空を駆けているので、叶えてくれるだろう。
「私は、流れ星の力を借りずとも、フラン、あなたを幸せにします」
キスは、誓った約束を封じるために行うものでもあるらしい。
もう一度、私達は口づけを交わす。
ガブリエルはうっとりとした表情で、私を見つめる。
これが年上の余裕かと思っていたら、次の瞬間には眼鏡のブリッジを指先で押しあげようとしたものの――残念ながらそこに眼鏡はない。
「また、おかしな行動をお見せしてしまいました」
ガブリエルにとっての眼鏡は体の一部で、かけていないときもあるように思い込んでしまう瞬間があるらしい。
「あなたの前では一生かっこつけていたいのに、上手くいかないものです」
「私は、ガブリエルのそういうところが大好きだから」
「本当に?」
「ええ。嘘は言わないわ」
あなたはどう? と質問を投げかけると、ガブリエルがぐっと接近し、耳元で囁く。
「フランセット、私はあなたを、心から愛しています。これから先の未来も、永遠に」
ガブリエルの愛の言葉は、口づけをもって封じられる。
流星群の下で、私達は永遠の愛を誓ったのだった。
スライム大公と没落令嬢のあんがい幸せな婚約 完