没落令嬢フランセットは、領地についていろいろ質問する
「今日、呼び出した理由なんだけれど」
「理由が、あったのですか?」
「ないと思っていたの?」
「ええ」
婚約者なので、理由もなく会うのは当然だと思っていたらしい。
「そう……。なんかもう、目的は達成したようなものだけれど」
「何の用事だったのですか?」
「心変わりはしていないか、聞こうと思ったの」
「心変わり?」
「ええ」
婚約から数週間経った。そろそろ我に返って、私と結婚するのは間違っているのではないか、と気がつく頃だと思ったのだ。
「というわけで、心変わりはしていないのかなと」
「していません。まったく」
「だったら、よかった」
「逆に、あなたこそどうなのですか?」
お金が縁で結んだ契約的な婚約である。不満はないのかと、逆に問いかけられた。
「私は、不満なんてないわ。スライム大公と結婚できるなんて、またとない名誉だと思っているの」
「そ、そうですか」
ガブリエルは顔を逸らし、眼鏡のブリッジを押し上げる。頬が少しだけ赤く染まっていた。照れ屋さんなのだろう。
「そういえば、以前、フラン……あなたに対する噂話を耳にしたのですが」
「あら、何かしら?」
社交界での話題の中心は、いつだって姉だった。
美しく聡明で、誰にでも平等に優しい。未来の国母に相応しい女性だと、皆口々に褒めていた。
しかしまあ、マエル殿下から婚約破棄されてからは、悪口しか言われていなかったが。
私は姉に比べて影が薄いので、風の噂ですら流れていなかった。
「まだ、あなたの姉君がマエル殿下の婚約者だった時代に、アクセル殿下との婚約話が浮上していたと」
「私が、アクセル殿下と? ないわ。ないないない!」
ドラゴン大公こと、アクセル殿下は騎士隊の総隊長を務める、国一番の剣の使い手だ。
完璧を擬人化したような人物で、兄の婚約者の妹という繋がりが遠い私にも優しかった。
会うたびに言葉を交わし、社交界デビューのときはダンスを踊ってもらった。けれども、婚約の話が浮上したことなんて、一度もない。
「そもそも、メルクール公爵の娘がふたりも王族の妻の座を得たら、反感を買ってしまうわ」
「そうでしたか」
社交界デビューの日、姉が婚約破棄されるわ、実家は凋落するわで大変な目に遭った。けれども、唯一アクセル殿下と踊ったことだけはいい思い出だ。
アクセル殿下はよき兄という感じで、姉と結婚するのが彼だったらどんなによかったかと何度思ったことか。
思うようにいかないのが、現実なのだろう。
「誰かの勘違いだから、気にしないで」
「それを聞いて、安心しました」
会話が途切れたところで、いろいろと質問してみる。
「私も気になっていたことがあるの。お時間、大丈夫?」
「ええ。何時間でも、問題ありません」
「いえ、何時間もかかるような質問でもないのだけれど」
まず、もっとも気になっていた点を尋ねてみる。
「アヒルを水浴びさせられるような湖はあるかしら?」
「湖はもれなくスライムの棲み処なので、オススメはできません。我が家にはいくつか浴室がありますので、そのうちのひとつをアヒル専用にしましょう」
「アヒル専用の浴室って、贅沢な話だわ」
「普段は使っていないので、どうかお気になさらず」
それにしても、湖がスライムの棲み処になっているなんて。思っていた以上に、暮らしに密着しているようだ。
「あとは、アヒル……アレクサンドリーヌというのだけれど、性格がちょっと凶暴で、鳴き声も大きいの。ご近所迷惑にならないかしら?」
「問題ありません。屋敷は村から少し離れた、小高い丘にあります。下町のように、住居が密集しているわけではありません」
ちなみに、親戚は隣町に住んでいるので、滅多に会わないという。
「母は動物好きですので、アヒルもまあ、大丈夫でしょう」
「よかった」
他にも、アレクサンドリーヌが散歩できる場所や、遊べる場所、くつろげる場所はあるかとか、さまざまな質問を続けざまにぶつける。
日光浴はできそうにないが、それ以外は彼女が暮らしていくに問題ないように思えた。
「他には?」
「うーん、こんな感じかしら? もう大丈夫」
「いや、大丈夫って、あなた、さっきからアヒルのことしか質問していないのでは?」
「言われてみたら、そうね」
「もっといろいろあるでしょうが」
「うーーーーん。特にない、かしら?」
現地で疑問に思うことがあるかもしれない。そのときにまた、教えてもらえばいいだろう。
質問が尽きたところで、お開きとなる。食事に誘ったものの、約束していないからと断られてしまった。
「料理はまた今度。領地で、暮らしに慣れてからふるまってくれたら嬉しいです。今は、いろいろと大変でしょうから」
「ええ、わかったわ。ありがとう」
お土産として用意していたサブレを手渡す。
「いいのですか?」
「ええ。贈り物のお礼よ」
「ありがとうございます」
笑顔でお礼を言ってくれる。甘い物は食べられないことはないと言っていたものの、本当は大好きなのかもしれない。
「それでは、また」
「ええ」
アレクサンドリーヌに襲われてしまうので、今度は裏口から出るように案内した。
馬車はどこに置いているのか。
疑問に思っていたが、ガブリエルの体は光に包まれる。
魔法陣が浮かび上がり、一瞬にして消えた。
「あ、あれは――」
腕に抱いていたプルルンが、代わりに答えてくれた。
『てんいまほう、だよお』
「て、転移魔法!?」
国内でも限られた者しか使えない、高位魔法である。
どうやらガブリエルは、とんでもない実力を秘めた、魔法の使い手だったようだ。
ただただひたすら驚いていたが、それ以上に驚くような事態となる。
ガブリエルが帰ったのと同時に、正面玄関の扉が叩かれた。
「あら、誰かしら?」
アレクサンドリーヌの鳴き声が聞こえない。いつもだったら、訪問者に激しく鳴いて威嚇するのに。
いったい誰がやってきたのか。
扉に備え付けられている小さな穴から、訪問者を覗き見た。
「――え!?」
扉の向こうにいたのは、アクセル殿下だった。