没落令嬢フランセットは、買い物に出かける
ガブリエルはプルルンを残して帰ることを、ひたすら申し訳なく思っているみたいだ。
お詫びの品として、最初は大量の絹のハンカチが贈られた。なぜ……? と思いつつも、ありがたくいただく。ハンカチ以外では、小麦粉や肉、果物などの食材やパンやチョコレートなどの食品を贈ってくれた。
そのおかげで、毎日充実した食生活となっている。
プルルンの助けもあってお菓子も大量に作れるようになり、これまでの二倍以上の売り上げを手にできるようになった。
稼いだお金は、嫁入り準備のための資金にしたい。
一週間後――ガブリエルの叔母さんが私を訪ねてやってきた。
年齢は四十代半ばくらいだろうか。深く被った帽子から、優しげな瞳が覗く。細身の体に似合う、品のいいマーメイドラインのドレスをまとっていた。
「あなたが、わたくしの可愛い可愛い甥っこ、ガブちゃんの花嫁ですのね。初めまして。わたくしはジュリエッタ・ド・モリエールと申します」
モリエールというのは、国内でも有数の資産を誇る、名だたる貴族だ。
なんでも、母と少しだけ付き合いがあったらしい。
「私はフランセット・ド・ブランシャール、と申します」
「まあまあ、なんて可愛らしい! こんな愛らしい女性を花嫁に選ぶなんて、ガブちゃんったら女性を見る目がありますのね! わたくし、感激いたしました!」
ガブちゃんとはいったい……?
遠い目をしていたら、モリエール夫人から手をぎゅっと握られる。続けざまに放たれる弾丸のような褒め言葉を浴びた。
ガブリエルに相応しい花嫁かどうか、一日中調べるのではないか、と不安だった。けれども、お気に召していただけたようなので、ホッと胸をなで下ろす。
「ところでそのドレスは、どうしましたの?」
「あ――えっと、貸衣装店で借りてきたものです」
お菓子の売り上げを使い、借りてきた。みすぼらしいエプロンドレスで、貴族御用達の店をうろつくわけにはいかないと思って用意したのだ。
一応、流行にとらわれない、定番のドレスを選んだつもりであった。貴族のご夫人からみたら、引っかかる恰好だったのか。
「その、おかしかったですか?」
「いいえ、まったく! ガブちゃんから、ドレスの一着も持っていないだろうと聞いていたものですから、どうしたのかと疑問に思いまして」
「そうでしたか」
「ガブちゃんったら、お出かけ用のドレスを贈っていなかったのですね! まったく気が利かない」
「いいえ、その、これまでいろいろいただいておりまして」
「たとえば?」
「パンとか、チョコレートとか。その、日々の生活に必要な物ばかりで、大変助かっておりました」
そう答えると、モリエール夫人は瞳を潤ませる。
「大変な苦労をされていたのですね。これから先の人生は、ガブちゃんがあなたを幸せにしますので!」
「え、ええ、ありがとうございます」
ここで、プルルンがのそのそと這い出てくる。それに気づいたモリエール夫人は、嬉しそうに話しかけた。
「あら、プルルルンではありませんか!」
『プルルルン、ちがう。プルルンだよう』
「そう、プルルン!」
久しぶりの再会のようで、手と触手を取り合い、小躍りしていた。
なんとも微笑ましい光景である。
「と、踊っている暇はありませんわね。さっそく行きましょうか」
「はい。よろしくお願いいたします」
そんなわけで、モリエール夫人と街へ買い物に出かける。
プルルンは留守番をするようで、触手を伸ばして手を振っていた。
『フラ、ジュリ、行ってらっしゃい』
「行ってきます」
家の前には立派な馬車が停まっていた。
「うふふ、可愛らしいアヒルちゃんがいますわね」
「え、ええ」
アヒルも空気を読んでいるのだろう。今日はガアガアとうるさく鳴かない上に、飛びかかりもしない。大人しくしていた。
「名前は?」
「いえ、特に決めていないのですが」
「でしたら、わたくしが決めてもよろしいでしょうか?」
「はあ、どうぞ」
「ありがとう。ちなみに男の子なのかしら? それとも女の子?」
「雌……いえ、女の子です」
「そう」
モリエール夫人はアヒルをじっと見つめ、首を傾げる。
「う~~~~ん、そうねえ。アレクサンドリーヌ、というのはいかが?」
「ア、アレクサンドリーヌ……。え、えっと、その、大変高貴で、彼女に相応しい名前かと」
「よかった!」
そんなわけで、アヒルに〝アレクサンドリーヌ〟というたいそうな名前が付く。
あなたはアレクサンドリーヌよ、とモリエール夫人が語りかけると、誇らしげに胸を張っているように見えた。まあ、気のせいだろうけれど。
アヒル改め、アレクサンドリーヌの見送りを受けつつ、私達は馬車に乗りこんだ。
モリエール夫人の馬車は見た目も豪華だが、内装も立派だ。床板にはベルベットが全面に敷かれ、座席は艶のある本革だ。窓枠は金で縁取られている。
かつて実家が所有していた馬車よりも、豪勢であった。
「まずはドレスを買いに行きましょう。スプリヌには、仕立屋さんが一軒しかない上に、耳が遠いお婆さんがひとりでやっていて、オーダーがまったく通りませんの」
袖が膨らんだ、
「酷いでしょう?」
「ええ、まあ」
袖のない背広……いったいどんな一着なのか、逆に気になってしまった。
最初に立ち寄ったのは、王都でもっとも人気があるドレスの仕立屋さんであった。
いつも行列ができていて、近づけないような店である。
モリエール夫人は裏のほうへ回り、別の入り口から入っていった。どうやら、お得意様専用の出入り口があるようだ。
裏側から入ると、従業員が笑顔で出迎えてくれる。
「モリエール夫人、いらっしゃいませ」
「ええ。今日は先日お願いしていたドレスを、見せていただこうかなと」
「かしこまりました」
従業員の誘導で辿り着いた先は、シャンデリアが輝く広い個室であった。そこに、トルソーに着せられたドレスが何体も並べられている。
ザッと見る限り、三十着以上はありそうだ。
「現在王都で流行っているものから、長年愛される定番の形まで、いろいろ揃えてみました」
「まあ! どれも素敵ですこと!」
モリエール夫人は社交界デビューをする少女のように、瞳をキラキラと輝かせていた。
「フランセットお嬢様はこちらへどうぞ」
「ええ」
モリエール夫人がドレスを一着一着眺めている間に、私は体の寸法を測られる。
既製品を、仕立て直してくれるのだろう。
「では、ここにある品を全部、いただきますわ!」
「え!?」
びっくりして、モリエール夫人を見る。すると、不思議そうに小首を傾げた。
「何か、気に入らないドレスがありましたの?」
「いいえ、この中から、一着か二着、選ぶものだと思っていたものですから」
「まあ、まあ! 一着や二着では、使用人の洗濯が間に合いませんわ。少なくとも、一日に二着は必要でしょう?」
たしかに、母は一日に三回以上着替えていた。
貴婦人は一日に何度もドレスを替えるのだ。
モーニングドレスにアフタヌーンドレス、ティードレスにイブニングドレス、ナイトドレスなどなど。
その場その場で相応しいドレスをまとうのが、上流階級に生きる女性のマナーである。
私がみすぼらしい恰好をしていたら、主人の名が傷つく。
そのため、遠慮なんてしている場合ではなかった。
「あと数着、オーダーメイドで作ってくださいまし。秋のドレスは、わたくしが見繕って領地に贈りますので」
「秋のドレス、ですか?」
「ええ」
「もしかして、ここにあるのはすべて、夏のドレスなのでしょうか?」
「もちろん」
夏のドレスだけで、三十着以上も買うなんて……!
遠い目をしつつ、従業員が入れてくれた紅茶を飲んだのだった。