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ヴィルは悪い人なのか?

 その後、私はぼんやりしながら夕食を作り、デリバリーバードにヴィル宛ての弁当を依頼し、お風呂に入り、そのまま寝台へ転がっていたらしい。ここまで無意識だったのか、記憶が曖昧だった。

 そんなふうになってしまうくらい、レナ殿下から聞いたヴィルについての情報が衝撃的だったのだ。


 これからについて考えてほしい、と言われたものの、どうすればいいのかわからない。

 だって、だって、私が知っているヴィルという人は一見してクールに見えるけれど優しくて、監督生長として立派に在ろうと努力し、真面目に生きる男性ひとだ。

 自分がリンデンブルク大公の息子だと知られたくなくて、私に対しては最初、身分を隠していたくらいである。

 そんな人物が王位継承第一位になるために、王族を陥れるような行動にでるのだろうか?

 ヴィルとはたった数ヶ月の付き合いだが、野心を抱いたり、悪いことを企んだりするような人には思えない。


 ただそれも、私を利用するための演技である可能性もあるのだ。


 正直なところ、私自身、他人ひとの善悪を見抜く能力なんてない。

 元婚約者であるルドルフとリジーの関係にも気づいていなかったくらいだから。

 ただ、どうしても彼の言動のすべてが演技だとは思えない。

 一つ一つの言葉には、深い情と真心が滲んでいるように感じていたから。

 悪い人なわけがない。

 そう断言する一方で、ヴィルの演技に粗があったとしても、あの美貌を前にしたら気にならなくなっていたのかもしれない。


 思い返せば、私の祝福について、他言しないよう必要以上に強く言い含めていたような気がする。

 祝福についてホイップ先生にだけ打ち明けたのは、彼女が協力者である可能性も否定できない。

 ホイップ先生については、何か企んでいそうな感じがしていたので、ヴィルと手を組んでいたと聞かされても驚かない。

 申し訳ないが、ホイップ先生は貴重な魔法書や薬草を条件として提示したら、なんでもやってくれそうな気がする。


 と、ここまで考えて、いやいや、と心の中で否定する。

 自分の目で見聞きもしていないのに、ヴィルが悪い人だと決めつけるのはよくない。

 けれども私の節穴の目で善悪を見抜く自信は欠片もなかった。


 ヴィルにとって、私はネギを背負ったカモのような存在だったのかもしれない。

 なんて、考えただけで空しくなった。


 パンの仕込みでもすれば、気分転換にでもなるだろうか。

 そう思って起き上がると、ぶるりと震えてしまう。

 どうしてなのか、酷く寒気を感じてしまった。

 王都の冬なんて、これまでちっとも寒くなかったのに。

 ガウンに手を伸ばそうとした瞬間、円卓に置かれた未開封の手紙に気づく。

 手紙受けから封筒を回収したのも、無意識で行っていたらしい。

 差出人に書かれてあったのは、父の名前だ。

 父は月に一度、手紙を送ってくれる。

 一週間前に届いたばかりだったが、どうかしたのだろうか。

 首を傾げながら手紙を開封する。

 書かれてあったのは、叔父に関する調査だった。

 父は騎士隊に、身内が王太子レナハルト殿下の誘拐事件に関わっている可能性があるから調べてほしい、という調査依頼を送ったらしい。

 けれども数ヶ月経っても、何も反応がなかったようだ。

 その後、何通か手紙を送って確認したものの、返信はなく……。

 これ以上待てなくなった父は、探偵を雇い、事件についての騎士隊の扱いについて調査させたらしい。

 その結果、誘拐事件はレナ殿下が下町で迷子になった、という事件性のない騒動に書き換えられていたようだ。

 騎士隊が事件を隠蔽し、叔父の罪はなかったものとされているという。

 事件については騎士隊に通報したと父から聞いていたので、もう大丈夫だろうと思っていたのだ。

 そういえば先ほど、レナ殿下から誘拐事件が大事にならなかった、という話を聞いていた。

 本当にヴィルが介入している、ということなのか。

 考えただけでもゾッとする。


 なんだか怖くなってきた。今日はやはり眠ろうか。

 寝台にすとんと腰を下ろした瞬間、コツコツという物音が聞こえる。

 あの音はデリバリーバードがお弁当を返しにきたのだろう。

 のろのろと窓のほうへ向かうと、いつものデリバリーバードが家の中を覗き込んでいた。


 窓を開き、ご褒美の魔石の欠片を与え、空っぽのお弁当箱を受け取った。

 

「――あら?」


 お弁当がずっしりと重たい。

 夕食を食べる暇がないほどの仕事を任されたのだろうか?

 デリバリーバードが飛び去ったのを確認し、窓を閉めたあと、お弁当の蓋を開いてみる。

 すると中には魔法瓶と手紙、筒状に巻かれた羊皮紙が入っていた。

 いつもはメッセージカードのみなのに、いったいどうしたのだろうか。

 手紙を開いてみると、お弁当の丁寧な感想と感謝の気持ち、それからささやかなお礼として、白湯を作った、と書かれてある。

 さらに、私の魔法の杖について、昼休みに考えてくれたらしい。調べたことについて、羊皮紙に書いてくれたようだ。


 羊皮紙を開いてみると、杖に使えそうな素材について書かれていた。

 

「スノー・ディアの角と、雪魔石、雪の砂、六花草――」


 どれも初めて知る素材ばかりだ。

 スノー・ディアに至っては、雪深い地域に生息する珍しい魔物だという。

 ラウライフにはいない魔物なのだろう。

 それにしても、貴重な昼休みだろうに、こんなに詳しく調べてくれたなんて。

 ただ、それも私を利用するためだったら? なんて考えたら空しくなってしまう。


 魔法瓶の蓋を開いてみると、ほかほかと湯気があがった。

 カップに注いだそれを、一口飲む。

 ちょうどいい温度で、二口、三口と飲み続けると、体の中がじんわり温かくなっていく。

 ヴィルは私が健康でありますように、と祈りながら白湯を作ってくれたらしい。


 ここで気づく。

 私は寒さで震えているのではなく、恐怖を感じて身震いしていたのだと。

 体が温まって、恐怖心が熱でほんの少しだけ溶けたようだった。


 どうしてヴィルは私に優しくしてくれるのか。

 悪い人だったら、憎みたかったのに。

 

 彼を悪い人だと認めたくない感情に気づいてしまった。  

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