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エアとおじさんの家へ

 話を終えたあと、エアから離れると、思いがけないことを言われる。


「ミシャってさ、なんだか母親みたい」

「せめてお姉さんと言って……!」


 たしかに前世の記憶はあるから、若者らしくはないだろう。

 だからと言って、十七歳の子どもがいる母親みたいと言われるのは嬉しくない。


「俺、ミシャが友達でよかった!」


 その言葉はとても嬉しいものだった。私もと返すと、エアはやわらかく微笑んでくれた。 

 馬車は豪壮とした邸宅の前で止まる。

 そこは中央街と下町の中間くらいにある通りで、辺りは庶民が多く暮らす場所であるが、この屋敷だけ立派だった。


「ミシャ、ここがおじさんの家なんだ」

「す、すごく大きなお屋敷ね」


 エアの後見人の家はとんでもない豪邸だった。

 窓の外からでもすごいのに、馬車から降りてみても圧倒される。

 

「あの、エア、後見人のお名前を聞いておいてもいい?」

「おじさんの名前? ブランド・フォン・ミュラーだよ」


 ミュラーという家名が貴族にいたという記憶はなかったものの、ミュラー商店ならば覚えがある。

 国内でも五指に入るほどの大商会で、たしか先代の商会長は生涯独身だった、なんて話を聞いていたような。

 ミュラー商店は現在も存在するので、弟か隠し子か、血縁にある者が継いだのだろう。

 貴族だと聞いた覚えはないので、最近叙爵したのかもしれない。


「ミシャ、おじさんの名前がどうかしたんだ?」

「訪問するご家庭の方の名前を知らないのもどうかと思って」

「それもそうか」


 門は閉鎖されているようなので、商人が出入りしている小さな扉から入るようだ。

 遠くから見たら立派なお屋敷だったが、中から見ると庭は手入れされておらず、雑草が生え放題だった。庭師の気配も感じない。

 屋敷の扉を叩くと、七十代くらいの老執事が顔を覗かせる。


「エアお坊ちゃん、お帰りなさいませ」

「お坊ちゃんじゃないから」

「旦那様は客間で待ち構えております」

「わかった。ありがとう」


 執事は案内するために先導していたものの、エアはあっさり追い越す。

 私も執事に会釈をしたのちに、エアを追いかけていった。


 エアは客間の扉を叩いて声をかける。


「おじさん、きたよ」


 そう声をかけると、ドタドタという大きな足音が聞こえたのちに、扉が勢いよく開かれた。

 扉の向こう側にいたのは、見上げるほどに大きな男性である。


「エアさん、おかえりなさい!」


 ハキハキとした大きな声で、エアの帰りを喜んでいるようだ。

 後見人の年頃は四十代半ばくらいだろうか。

 髪は短く刈られていて、頬には大きな切り傷がある。目元はキリリとしていて、油断を欠片も見逃さないような鋭さもあった。

 レヴィアタン侯爵よりも体が大きく、戦う人そのものの姿である。

 この風貌で商人なのか、と信じられないような気持ちになった。


「おじさん、彼女が友達のミシャだ」

「どうもはじめまして、ミシャ・フォン・リチュオル、です」

「リチュオル? ラウライフを領する子爵家の?」

「は、はい、そのとおりでございます」

「友達は女性だったのですね」

「は、はあ」


 後見人はミュラー男爵と名乗り、深々と頭を下げてくれた。

 椅子を勧められたので、腰を下ろす。

 ミュラー男爵からじっと見つめられていた。気まずく思っていたら、エアが指摘してくれる。


「おじさん、そんなふうにミシャを見つめたら、失礼だ」

「あ、ああそうですね。申し訳ありません。エアさんが選んだ女性が、どのようなお方なのかと気になっておりまして」

「選んだ? どういう意味だ?」


 エアがそう問いかけると、ミュラー男爵は大きな図体に似合わない様子でもじもじしながら答えた。


「その、ミシャ嬢は、エアさんの伴侶となる女性なんですよね?」

「え!?」

「は!?」


 エアは立ち上がり、ミュラー男爵の勘違いを訂正した。


「ミシャとはそういう関係じゃない。大切な友達だ! 異性を連れてきたからって、そういう関係にあると誤解するのは、ミシャに失礼だぞ!!」

「あ、そ、そうだったのですね!」


 誤解が解けたあと、ミュラー男爵が安堵したような表情を一瞬見せたのを、私は見逃さなかった。


 もしかしたら私は、エアの悪い虫扱いされかけていたのかもしれない。


「ミシャ嬢、失礼しました」

「いえ、どうかお気になさらず」


 男女の友情というものは大変珍しいので、勘違いされても無理はない。

 それからミュラー男爵はエアの学校生活について聞きたがる。

 エアがあまり話そうとしないので、代わりに私が話してしまった。

 ミュラー男爵は嬉しそうに相づちを打ち、心から幸せそうに見えた。


 夜、食事に誘われたものの、エアが断ってしまう。

 

「寮の門限があるから、もう帰るよ」

「そうだったのですね」


 門限までまだ三時間もあるが、エアは居心地が悪かったのだろう。

 ミュラー男爵は名残惜しそうにしているものの、私はエアの意思を尊重し、門限については黙っておくことにした。

 そうそうにミュラー男爵の家をあとにしたのだった。


 馬車の中で、エアから謝罪される。


「ミシャ、おじさんが失礼なことを言って、ごめん」

「いいの」

「でも、男女でいたら、そういうふうに誤解されるんだよな」


 学校でも、エアは何度か私と交際しているのか、と聞かれたことがあったらしい。


「俺とミシャが友達だって言うとさ、みんな驚いた顔をするんだ」

「酷いわね」

「なんか俺、ミシャが結婚したら、そのうち間男に勘違いされそうで」

「ふふ! おかしい。エアはそんな未来の心配までしていたのね」

「当たり前だろう? 俺はミシャが結婚しても、友達止める気はないからさ」

「だったら、夫公認のお友達として、一緒にエアを紹介して回らなければならないわね」

「ああ、頼んだぞ」

「任せて」


 結婚なんてしないだろうが、エアからずっと友達と言われて嬉しかったので、今日のところは否定しないでおいた。

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