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社交界デビューのドレスについて

「ヴィルが言っていたのだけれど、私が王妃殿下の元針子だということで、相談してくれたようで」

「ええ」

「ふふ、もう二十年も前の話ですのに」


 王妃殿下は二十数年前に隣国から嫁いできた元王女である。

 第一王女であることに敬意を示し〝王妃殿下〟と呼ばれているようだ。

 王妃の扱いについては国によってさまざまだが、我が国での王妃は統治においての権力は与えられない。そのため、敬称は陛下ではないようだ。

 ちなみに他国では、〝支配君主の妻たる妃〟、〝王の配偶者〟などなど、さまざま呼び方があるらしい。

 王妃が国王と同じ権力を持ち、夫婦揃って陛下と呼ばれる国は大陸のど真ん中にある帝国くらいか。

 ここは異世界なので、地球の歴史や文化とは異なる。前世で得た常識はまったく役に立たないのだ。


「今年は陛下の体調がよろしくないようで、社交界デビューの夜会には王妃殿下が参加されるようですの」

「そうだったのですね。王妃殿下はどんなお方なのですか?」

「お優しくて、控え目で、儚い印象のあるお方でした」


 それは過去を語るような口ぶりで、まるで今は変わってしまったかのような言い方に聞こえてしまった。

 ただレヴィアタン侯爵夫人が針子をしていたのは二十年も前なので、今の王妃殿下については詳しくないだけなのかもしれない。


「ああ、そう。ドレスについては、ヴィルの妹さん用に作ったものの予備をくださるのですって」

「そ、そうなのですか? いいのでしょうか?」

「なんでも二十着くらい製作したようで、ありあまっているのだとか」


 いいところのご令嬢ともなれば、社交界デビュー用のドレスの試作を大量に作るらしい。

 やはり、ヴィル先生は上流階級出身のお坊ちゃんなのだろう。


「ですので、今日は採寸のみしましょうね」

「お願いします」


 レヴィアタン侯爵夫人は丁寧に体のサイズを測り、メモを取っていく。

 久しぶりだからやり方を忘れているかも、なんて言っていたものの、巻き尺メジャーを体に当てて測る様子は慣れているように思えた。


「と、こんなものでしょうか」

「ありがとうございます」


 ジェムは次は自分の番だ、とばかりにレヴィアタン侯爵夫人の前にやってくる。

 それを察してくれたのか、レヴィアタン侯爵夫人は巻き尺をジェムに巻いて大きさを測ってくれた。


「ジェムさんの胸囲は、三十インチ、くらいでしょうか?」


 三十インチ……七十六センチメートルくらいか。

 測ってもらって嬉しかったのか、ジェムは嬉しそうに跳びはねていた。


「レヴィアタン侯爵夫人、ジェムの採寸までしてくださって、ありがとうございます」

「いえいえ。私、こういうのが大好きですので」


 楽しかったと言ってくれたので、ホッと胸をなで下ろした。


「ドレスはヴィルがすぐに送ってくれるというので、社交界デビューまで頑張って仕上げますね」


 夕食に誘われたものの、急な訪問をした上に食事までご馳走になるのは申し訳ないのでご遠慮した。

 ヴィル先生にもお断りされたようで、レヴィアタン侯爵夫人はしょんぼりしている。


「次は泊まりがけで、遊びにいらしてね」

「ありがとうございます」


 ヴィル先生はレヴィアタン侯爵と話があるようで、先に帰っておくように、と書かれたカードが届いた。

 帰りの馬車はレヴィアタン侯爵家のものを貸してくれるらしい。

 レヴィアタン侯爵にも挨拶したかったのだが、話が長くなるようなので、今日のところはおいとまさせていただく。

 執事に見送られながら玄関から出たところ、急に男性が駆け寄ってきたのでギョッとする。


「レヴィアタン侯爵夫人! どうか、レヴィアタン侯爵との面会を!!」

「わ、わあ!」


 私にぶつかってきそうな勢いだったのだが、ジェムが透明のアクリル板みたいな形状に変化し、私を守ってくれる。

 アクリル板みたいなジェムに突っ込む形になった男性は、「ぐえっ!!」という、潰れたアマガエルのような声を上げ、そのまま転倒した。


「あの、私はレヴィアタン侯爵夫人ではありません」

「へ……!? あ、本当だ」


 尻餅をついて私を見上げるのは、四十代半ばくらいの中年男性である。


「えー、ここで何を?」

「レヴィアタン侯爵にもう会えないと言い渡されてしまったから、レヴィアタン侯爵夫人に直談判しようと思って」

「はあ」


 彼はヴァイザー魔法学校の理事選挙に出馬する、レイド伯爵と名乗った。

 なんでもレヴィアタン侯爵に後援会入りをしてほしいと思って頼みにきたようだが、お断りされてしまったらしい。

 それでも諦めずに通っていたら、面会を拒絶されてしまったそうだ。


「お、お嬢ちゃんは魔法学校の生徒のようだけれど、もしかして父君は選挙権を持っているんじゃないか?」

「さあ、どうでしょう。父は辺境の領土を守る、田舎貴族でして、王都にはめったにやってこないものですから」

「そ、そうか」


 今日は他に来客がいるので、会ってもらえないだろうと助言すると、レイド伯爵は諦めたようで、トボトボとした足取りで帰っていった。


 はあ、とため息を一つ零し、馬車へ乗る。


 魔法学校に戻り、薬草の世話をしたあと、夕食作りを始める。

 今日はタマネギのグラタンスープに、塩豚の香草蒸し、野菜のキッシュだ。

 一応、ヴィル先生の分も用意したが、やってくるだろうか。

 なんて考えていたら、ヴィル先生がやってきた。


「ただいま戻った」

「おかえりなさい」


 まるで我が家に迎えるような言葉を交わしてしまい、盛大に照れてしまう。

 それはヴィル先生も同じだったのか、耳の端っこが少しだけ赤くなっているような気がした。


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