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大事件に巻き込まれて……

 我が国の王太子はたしか一人息子で、名前は――なんだったか。

 思い出せないけれど、年齢は私と同じ十七歳だった。

 彼、いいや、彼女か。いや、どっちでもいい。この人物が本物の王太子であるのならば、どこか安全な場所へ送り届ける必要があるだろう。

 そういえば、と思い出す。薬局で何も買わないのもなんだと思い、気付け薬を買っていたのだ。

 ひとまず、包帯は解かずに、少し緩めた状態で結び、ボタンとタイも元通りにする。

 その状態で、気付け薬を飲ませた。


「ううん……!」


 一刻も早く目を覚ますよう、ガタガタと体を揺らしながら声をかけた。


「起きてください。どうか――!」

「はっ!!」


 ようやく意識が戻り、美しい青い瞳と目が合う。


「ここはいったい?」

「下町です。ここは危険なので、安全な場所へ行きましょう」


 この金色の髪は目立つだろうから、頭からハンカチを被せ、顎の下で結んでおく。


「あの、これは?」

「埃避けです!」


 嘘だけど! と心の中で言っておく。

 また誘拐されたら元も子もないので、対策させてもらった。 


 ぼんやりしている暇などない。腕を引き、ずんずんと歩いていく。

 意識が朦朧もうろうとしているようだったが、思いのほかしっかりとした足取りでついてきてくれた。


 ほぼ走っているようなスピードで中央街まで行き着くと、巡回している二人組の女性騎士を発見した。


「あの、すみません!」

「どうかしましたか?」

「彼、その、意識がなくて、倒れていたんです!」

「それはそれは――」


 耳元で王太子殿下です、と告げると、気付いていなかった騎士達は驚愕の表情を浮かべた。


「すぐに、王城までお届けします」

「ええ、お願い」


 去ろうとしたら、王太子が私を引き留める。


「ご令嬢、どうやら迷惑をかけたようだな。礼がしたいから、名を教えてくれ」


 ここで名前なんぞ名乗ったら、叔父の悪事までバレてしまいそうだ。

 にっこり微笑み、お決まりの台詞を返す。


「名乗るほどの者ではありません。ただの通りすがりですので、お気になさらず」


 会釈し、その場を去る。

 騎士も「待ってくれ!」と引き留めたものの、事情聴取は勘弁してほしい。

 猛スピードでホテルまで帰ったのだった。


 とんでもない事件に巻き込まれてしまった。

 母に言うべきか迷い――結局何も言えなかった。

 もしも打ち明けるならば、母ではなく父のほうだろう。

 それにしても、叔父は王都で王太子を誘拐するなんて、なんてばかなことをしているのか。

 どこか静かな所で、誰にも迷惑をかけないで生きているのならばそれでいい、なんて思っていたのに。

 叶うならば、二度と会いたくない相手だった。


 ◇◇◇


 ついに、受験の最終段階となる面接の当日を迎えてしまった。

 前回の実技試験の順位は二百三十位だったのだ。合格できるのは二百位までなので、かなり危ない橋を渡っている状況である。

 正直なところ自信がないが、可能な限り頑張るしかない。


 ヴァイザー魔法学校の門を通り過ぎるのも、もしかしたら今日で最後かもしれないのだ。

 そう考えると、なんとも寂しい気持ちになってしまう。

 いいや、弱気になってはいけない。

 絶対に二百位以内に入って、魔法学校の生徒になるのだ。

 待機部屋にエアの姿を発見する。


「エア、残れたんだ」

「まあ、なんとかな」


 順位を聞いたら、私よりも下位だった。頑張れとエールを送る。

 公爵令嬢アリーセ・フォン・キルステンの姿も発見した。

 なぜか私のほうを見ていたようで、一瞬だけ目が合う。

 向こうは「ふん!」と気分を害した様子で顔を背けていた。

 いったい私が何をしたというのか。


「ミシャ、これをやるよ。お守りだ」


 手渡してくれたのは、くすんだ緑色の魔宝石。

 かなり汚れているうえに、魔宝石自体も曇っているものの、磨いたら美しく生まれ変わるだろう。

 何やら呪文が刻まれているようだが、小さくて読めない。


「えっ、いいの? これ、貴重な物なんじゃない?」

「ああ、いいぜ」


 魔宝石は魔石よりもはるかに高価で、高い魔力や上位魔法が込められているという。


「死んだ母ちゃんがさ、世話になった奴がいたら渡せって言ってたんだ。魔法学校に受からなかったら、もう二度とミシャに会えないだろう?」

「そんなことないよ! 私達、もうお友達じゃない」


 魔法学校で会ったら友達になろう、だなんて言っていたものの、すでにエアとはお友達だと思っている。


「俺、魔法学校の受験に落ちたら、パン職人に弟子入りする予定なんだけれど」

「だったら、エアが焼いたパンを買いにいくわ。休み時間に、一緒に食べましょうよ」

「ミシャ……ありがとうな」


 一番いいのは、私とエアが魔法学校に合格して、同級生として通うことなのだが。

 

「でも、エアが受かって、私が落ちるかもしれないわ」

「だったら、夏休みにミシャの故郷へ遊びに行くから」

「ええ、約束よ」


 彼は転生してから初めてのお友達だ。これからも縁が続いてほしい。

 

「エア、落ちたときのことを考えるのではなく、合格したあとのことを考えましょうよ」

「そうだな」


 一緒にカフェテリアで昼食を食べたり、教材を貸し借りしたり、レポートを見せ合ったり、楽しそうな学校生活を想像する。


「悪くないな」

「でしょう」


 楽しいスクールライフを送るためには、絶対に合格しないといけないのだ。

 先にエアが呼ばれ、私は両手を振って見送った。

 一人になると、だんだん緊張してくる。

 果たして、上手く喋れるだろうか。王都へやってきてから何度も母相手に練習したものの、本番になった瞬間に頭の中が真っ白になるかもしれない。

 落ち着け、落ち着けと言い聞かせていたら、背後から声がかかる。


「あなた、ヴァイザー魔法学校に婚約者でも探しにきましたの?」


 振り返った先にいたのは、アリーセだった。


「婚約者? どうして?」

「ずーっと、ここで男性と仲睦まじく話していたではありませんか! 皆、受験しにきたというのに、はしたないですわ」

「はしたないって、エアはお友達よ」

「たくさんいる婚約者候補のお一人、というわけですのね」

「いやいやいやいや」


 どうしてそういう斜め上の解釈するのか。頭が痛くなってきた。


「あの、そもそも魔法学校という場所が、結婚相手を探す場として機能しているのはご存じない?」


 魔法使いという生き物は、ひたすら引きこもり、他人と会わずに研究を行うような日陰の者ばかりだった。

 その結果、魔法使いが減少してしまい、国王が貴族との婚姻を大急ぎで進めた。

 無事、魔法使いの血は守られたものの、今度は一子相伝の魔法を守りたいと考えるあまり、近親者としか婚姻を結ばない家門が増えてきたのだ。

 近親婚を繰り返せば国中に魔法は広がらず、ごくごく小さなコミュニティにのみ存在するものとなってしまう。

 頭を抱えた国王は、近親婚を強く禁止し、代わりに出会いの場となる魔法学校を創立して、魔法使いの血が広く遺伝するように働きかけたのだ。


 そんなわけで、ヴァイザー魔法学校の卒業者のほとんどは、学校内で結婚相手を探している。

 だから私が婚約者を探しに来たと言っても、彼女に責められる筋合いはないのだ。


「ねえ、あなた、試験官から名前呼ばれているけれど大丈夫なの?」


 そんな言葉を返すと、アリーセは顔を真っ赤にしながら試験官のもとへ走ったのだった。 

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