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勇者様が勇者様である理由

 眩暈めまいと吐き気に襲われる。視界がぐにゃりと歪み、意識が遠のいていきそうになった。


『ぴいいい……』


 私の異変を察知したぶーちゃんが私の膝の上に登り、心配そうに見上げてくる。

 気遣うように、蹄で優しく撫でてくれた。

 まだ、人身売買が行われているのが私が知っている施設だと決まったわけではない。

 そうだとしても、恐れるような場所ではないのだ。そう、自らに言い聞かせる。


 子どもが行方不明になる事件は、魔王の仕業ではなく、悪意に満ちた人間の犯行だったのだ。

 勇者様のほうを見ると、思いがけないことを口にした。


「なるほど!! これは魔王の仕業に違いないな!!」


 明らかに魔王なんて関わっていない事件なのに、勇者様はまだ魔王犯人説を信じているらしい。


「あの、勇者様、犯人は魔王ではありませんよ」

「証拠はどこにある?」

「ありませんが、魔王が人間相手に、地道に取り引きなんてするでしょうか?」


 もしも空っぽエンプティの者達が必要であれば、無条件に攫えばいいだけの話だ。

 今回の事件は大人ではなく、子どもをピンポイントに狙った犯行である。魔王が起こした事件にしては、小規模過ぎるだろう。


「魔王の仕業だと隠すために、巧妙な手口で起こした事件かもしれないだろうが!」

「うーーーーん」


 村単位でモンスターに襲撃するよう仕向ける魔王が、人身売買なんてするだろうか?

 

「現場を確認しない限り、はっきりと魔王ではないと断言することなどできないだろう」

「それはそうですけれど」


 問題は、魔王でなかった場合である。


空っぽエンプティの者達を救出できたとして、そのあとどうするのですか?」

「どう、とは?」

「彼らの多くは、家族から疎まれています。いなくなって、せいせいしている人だっているかもしれません」


 姿を消して安心しているところに帰ったら、どんな反応を示すのか。

 あまり考えたくない。


「勇者様、命の重さは、人によって違うんです。空っぽエンプティの者達の命は、祝福ギフトを持っている者達よりもずっとずっと軽い――」

「そうだとしても、この世に意味のない命はない。皆、役割があって、生を受けているのだ。私が鬱陶うっとうしく思う草の一本でも抜ける者がいたら、その者の存在意義は大きなものとなるだろう。ただ、それだけでいいのだ。もちろん、他人にそう思われるだけでなく、自分がしたいと望むことを成し遂げるだけで、生きている意味はあろう」


 勇者様の言葉は、胸にズンと重たくのしかかる。

 空っぽエンプティの者達の命は意味がなく、軽んじられているのに。

 そうではない、と私はどこかで信じたかったのだろう。

 だから、すぐに否定することなんてできなかった。


「居場所がないならば、私の実家で働けばいい。空っぽエンプティの者達も、草むしり程度ならできるだろう。彼らに居場所がないならば、作ってやればいいだけの話。貴族として生まれた私には、それができるのだ」


 どうやら彼は、空っぽエンプティの者達を救うつもりでいるらしい。

出会って初めて、勇者様が勇者様らしく見えてしまう。


 ちなみに今日が、人身売買を行う魔法使いが買い付けにやってくる日だという。

 なんでもすでに、数名の子ども達が連れ込まれているのだとか。

 酒場は斡旋の場となっているが、仲介している業者は別にいるようだ。


 店主はこの事業から手を引きたかったようで、私達に協力してくれると言う。

 もちろん、報酬は払わないといけないようだが。


「魔法使いよ、私達もその施設に行ってみようではないか」

「本気ですか?」

「私がこれまで冗談を言う日があったか?」

「いいえ」


 勇者様はいつでも本気だ。ふざけた物言いなんて、一度もしたことなどなかっただろう。


「別に私がひとりで行ってもいいんだ」


 もしも私が知っている施設だったら、勇者様ひとりで乗りこませるわけにはいかない。


「無理矢理同行させるつもりはないからな」

「いいえ、私も行きます」


 人身売買には年齢制限があるようだが、十九歳である勇者様はギリギリ制限内だった。

 私は問題ないらしい。実年齢は十八歳だが、見た目が十代前半にしか見えないからだろう。


 そうと決まったら、行動は早かった。


 店主が薄暗い地下部屋へ案内してくれた。そこにはいくつかの檻が置かれ、すんすんとすすり泣く声が聞こえる。

 ここに魔法使いがやってくるようだ。

 私とぶーちゃん、勇者様とイッヌに別れて檻の中に入れられる。

 金貨をたくさん握らせたので、施錠はしない状態で放置された。

 夜になるまで待つこと数時間――突然明るい光に包まれる。

 光が収まると、男女の声が聞こえた。


「今日は何体いる?」

「檻は六個。六体のようね」


 聞き覚えがあるような、ないような。

 施設にいた時代の記憶は年々曖昧になっているので、すぐに判断できなかった。


「運ぶぞ」

「ええ」


 どうやらふたりがかりで、転移魔法を展開させるらしい。

 六名以上の人々を一気に転移させるなんて、相当な実力の持ち主なのだろう。

 まともに働いていたら、国家魔法使いになれたに違いない。どうして人身売買になんか関わっているのか、理解に苦しむ。

 転移魔法によって、周囲の景色がガラリと変わる。

 そこは血の臭いと人々の悲鳴や唸り声が響き渡る地下部屋。

 私の記憶にこびりついている、空っぽエンプティの者達を閉じ込める檻だった。

 間違いない。ここは私が幼少期に連れてこられた施設だ。

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