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暗転

 ゾフィアが私の名前を一生懸命呼んでいたので応えようとしたら、背中をバン! と叩かれ、一瞬息が詰まりそうになる。

 喉がイガイガするので咳き込みたいのに、それすら叶わない。

 いったい誰の仕業かと振り向こうとするも、全身が石像になったかのように動かなかった。

 サーーー、と血の気が引くような思いとなる。

 突然暗くなったので、皆、声をあげていた。私も助けを求めようとしたのに、吐息すら発することができない。

 逃げようと一歩足を踏み出そうとしても、体はまったく言うことを聞かなかった。

 もしや、先ほど背中を叩かれたときに、なんらかの魔法がかけられてしまったのか?

 ブラッド様を呼びたくても、声が声にならない。

 腕を掴んでいた手が私をぐっと強く引き寄せ、あっという間に担ぎ上げられてしまう。

 そのまま会場を去っているようだった。

 いったい誰が、どこに連れ去ろうとしているのだろうか。

 恐怖に支配されるも、ガタガタと震えることすら魔法で制限されているようで、許されなかった。

 外に出ると冷たい風が頬を撫で、月明かりが犯人を照らす。

 犯人は屈強な体つきをした男性で、ウエストコートに仕立てのよいコートを合わせた、一般的な上流階級に身を置く者の格好である。

 ただ、髪のなで方や着こなしは少しぎこちなく、慣れていない者がそれらしく装っているように思えた。おそらく会場に潜入するために着用しただけの格好に過ぎないのだろう。

 きっとこの人物は誰かの依頼で、私をこのように連れ去ろうとしているに違いない。


 その後、馬車に乗せられ、私の体は椅子の上に下ろされる。

 すぐに馬車は動き出し、乱暴な運転だったからか、私の体は椅子の下に落下した。


「――!!」


 絨毯など敷かれておらず、冷たい木の床に叩きつけられる。当然ながら、悲鳴を上げることは叶わなかった。

 仰向けになったのが幸いし、私は犯人の姿を正面から捉えることができた。

 馬車の中は真っ暗だったが、目が暗闇に慣れていたのだろう。

 当然ながら、犯人に見覚えなどなかった。

 いったい誰の指示で、このようなことをしたのか。

 声が出せないのがもどかしい。

 途中で馬車が停まり、誰かが乗り込んできた。

 倒れ込んだ私を見て、その人物が声をあげる。


「うわっ、なんで床に転がしているんだ! 丁重に運べと言っただろうが!」


 その声には聞き覚えがあった。どうやら彼が、犯人のようである。


「まったく、この女はワラキア公との交渉に使う大事な〝餌〟になるというのに」


 ぶつくさ言いながら私を抱き起こすその人物は――イアン・カンタクジノ。

 カンタクジノ家の当主の長男である。


「ああ、ワラキア公夫人、意識はありましたか」

「――、――!!」


 私が口をパクパクさせているのを見て、イアンは実に楽しげな表情を浮かべる。

 ここで、コーマン卿が入場できなかったのは、彼の手回しだったのか、と気づいた。


「なぜ、このようなことをしたのか、と言いたいのでしょう?」


 私を誘拐した理由について、イアンは勝手に語り始める。


「ワラキア公国を我が物とするためですよ! 父は慎重過ぎて、なかなか行動に移さないので、何もしないのならば、と先手を打ったんです!」


 自らがワラキア公になるため、私を人質にして、ブラッド様を脅迫するようだ。


「ちなみに、あなたの侍女は仲間が拘束しています。あの、凶暴な息子を使って何かしようと考えないことです。もしも変な行動を取れば、侍女の命がないと思ってください」

「――!?」


 まさか、会場に残してきたゾフィアまで捕らえていたなんて。


「宿についたら、魔法を解きますので、息子を上手く言いくるめて、この鳥かごの中に入れてください。あと、金目の物を鞄に詰めるように」


 なんて酷いことを命じるのか。腸が煮えくりかえるような怒りを覚える。

 馬車は宿に到着し、私の魔法は解かれた。体の自由は利くようになったものの、言葉を発することはできない。


 馬車から降りて、部屋に戻るように命じられる。

 私のあとに男がぴったりついてきて、ナイフが突きつけられた状況となる。

 それを隠すように、イアンが私のすぐ背後について歩いていた。

 宿で働く人には、私が供を連れて戻ってきたようにしか見えないのだろう。誰も私達を引き留めることはなく、頭を下げるばかりだった。

 一歩、一歩と部屋に近づくにつれ、胸が嫌な感じに脈打つ。

 ブラッド様は私の異変に気づいてくれるだろうか?


 ついに部屋に行き着き、扉を開いた。

 部屋にセラがいたらどうしよう、と思っていたが、誰もいない。

 ホッと胸をなで下ろしつつ、寝室へと向かった。

 ブラッド様の姿はすぐに発見できた。

 ブランケットに全身を覆うようにすっぽり被った状態で、眠っているようだ。

 イアンが私に鳥かごを差しだし、すぐに入れるよう、目線で命じた。

 彼らはブラッド様を警戒しているのか、少し距離を取っている。

 出入り口の扉には男が立ち、私から三歩ほど離れた位置にイアンがいる。

 最上階なので、窓から飛び降りるのは自殺行為だろう。

 残念ながら、ブラッド様を抱えて逃げられるような状況ではなかった。


「ワラキア公夫人、早くしてください」


 ブラッド様の体をブランケットごと持ち上げた瞬間、ハッとなる。

 毛布の中にあったのはブラッド様ではなく、丸めただけのジャケットだ。

 ブラッド様はここにはいない。敵を騙すためのダミーとして、このような仕掛けを仕込んでいたのだろう。

 ブラッド様は異変に気づき、どこかに潜んでいる。

 その意図を読み取って、私は何も気づかないふりをして、ブランケットごと鳥かごの中に入れる。

  背後を振り返ると、開いた扉の上枠に立つブラッド様と目が合った。

 どうやら隙を窺っているように見える。


「ワラキア公夫人、そのかごを、早く寄越してください」


 両手を差し伸べるイアンに向かって、私は鳥かごを投げつけた。


「うわっ!!」


 同時に、ブラッド様も扉を塞ぐように立っていた男の顔に飛びかかった。

 男はすぐにブラッド様を乱暴に払い、何やら呪文を唱えている。


『遅い!!』


 ブラッド様はそう叫んで、自らの手を囓った。

 血が滲んだそれを、絨毯に擦り付ける。

 すると銀色に輝く魔法陣が浮かび上がり、絨毯から蔓が生えてきた。

 それはイアンと男の体をぐるぐる巻きに拘束するだけでなく、葉っぱが口を覆った。


 ブラッド様が指笛をピイ! と鳴らすとスタン卿が現れる。

 ジタバタと暴れる男に魔法巻物スクロールを貼り付けていた。すると、意識を失ったのか、途端に大人しくなる。

 その瞬間、私の魔法が解け、喋れるようになった。

 イアンにも同じように魔法巻物を貼ったあと、隣の部屋に運び込まれていた。


 ブラッド様は私のもとへ駆けてきて、ぎゅっと抱きしめてくれる。


『エリザベル!!』

「ブラッド様!!」

『ケガはないか!?』

「はい、わたくしはなんともありません。しかし、ゾフィアが捕らわれてしまいました」

『ああ、彼女なら心配いらない。コーマン卿がすでに救出している』


 なんでも私がここの部屋へやってくる数分前に、コーマン卿からの魔法伝書が届いたらしい。


『会場から明かりが消えたあと、ゾフィアを連れ去る謎の男を拘束した、と』


 そのあと、コーマン卿は私がいないことに気づき、急いで連絡したようだ。


『助けに飛び出そうとした瞬間、妙な馬車が停まって、そのあとお前が下りてきたから、ここにやってくるだろうと思って、待ち構えていたのだ』


 冷静な判断もあって、ブラッド様は見事な立ち回りを見せてくれたというわけだ。


『エリザベルの手書き刺繍イーラーショシュのおかげで、ケガもなく奴らを捕らえることができた。感謝する』

「いえ……」


 伴侶となる者の血と引き換えに、魔法が発動される手書き刺繍イーラーショシュ

絨毯の上に魔法陣が浮かび上がった瞬間、そうではないかと思っていたのだ。

 手書き刺繍イーラーショシュを展開したさいに輝く色は、銀だと聞いた覚えがあったから。

 時間をかけて刺繍した蔦模様は、魔法を使ったことにより消失している。

 無事、魔法が発動できてよかった。


 ブラッド様の手から血が滲んでいて、とても痛ましく見えた。

 私はすぐに髪を結んでいたリボンを解いて、包帯代わりに巻く。


「わたくしがふがいないばかりに、このような事態を招いてしまって」

『エリザベルは悪くない。悪いのは、悪事を働く奴らだ。だから気にするな』


 ブラッド様の声が優しくて、自分自身が情けなくって、涙が零れそうになった。

 けれども泣いている場合ではなかった。   

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