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養蜂家の青年は、旅支度をする

 冬が近づくにつれて、巣箱を守る態勢は厳重となる。

 蜜蜂たちが襲われるのは、寒さだけではない。山の生き物からも、守る必要がある。

 警戒すべきは、ネズミやリス、キツツキなどの小動物。彼らにとって、蜜蜂の巣箱は理想的な越冬の場所となってしまうのだ。

 侵入を防ぐために、周囲に網を張って対策する。

 他にも、巣箱に雪が積もらないように屋根も設置した。


「よし、こんなもんか!」


 あとは、どうにか春に会えますようにと祈るばかりであった。


 ◇◇◇


 冬支度が終わったので、とうとう俺とアニャの新婚旅行の日にちが近づいていく。

 雪が降る前に、行って帰ってくる予定だ。

 家族について考えたらげんなりしてしまうが、今回に限っては何もかも忘れて楽しみたい。

 一応、新婚旅行についてはミハルにだけ伝えている。

 ツヴェート様が言っていたのだが、家族に知らせたり、会ったりする必要はない、と。

 母や義姉達にアニャを紹介したかったが、まだ、ほとぼりも冷めていないだろう。

 何もかも放り出して、家を出た俺に対し怒っている可能性だってある。

 サシャとも、会わないほうがいい。また、喧嘩になったらアニャに心配をかけてしまうから。


 家を出てから半年以上経った。約八ヶ月ぶりくらいの帰郷か。

 俺を取り巻く環境は大きく変わったものの、ブレッド湖の美しさは変わっていないだろう。

 できたら、水面が凍る前にアニャに見せたい。

 せっせと荷造りしていたら、ツヴェート様が無言で何か差し出してくる。

 革袋に入っていて、受け取るとずっしり重たかった。


「もしかして、お小遣い?」

「そんなわけあるかい」


 新婚旅行の道中に食べるお菓子だろうか。袋の中を開けると、団子状の固まりが五つほど入っていた。


「なんだ、これ?」


 ひとつ、手のひらに出してみる。色は緑で、おいしそうには見えない。

 くんくんと匂いをかいだが、無臭だった。


「ツヴェート様、これ、何?」

「薬草で作った煙玉だよ。火を点けると、とんでもない量の煙が出てくるんだ。さらに、目を刺激してしばらく涙が止まらなくなる」

「わー、すごい。でも、なんで?」

「護身用だよ。もしも連れ去られそうになったら、迷わず投げるんだ」

「もしかして、アニャがあまりにも可愛いから、誘拐される心配をしているの?」

「誘拐の心配は、イヴァン、あんただよっ!!」

「お、俺なんだ!」


 なんでも、童話のお姫様のように、誘拐されるのではないかと心配だったようだ。


「いや、でも、こう見えて力はあるし、誘拐なんてされないと思うけれど」

「あんたの十三人の兄達がいっせいに捕まえにきたら、逃げられないだろうが」

「俺を誘拐するの、身内なんだ」

「他に誰がいるって言うんだよ!」


 たしかに、いい働き手である俺がぼんやり歩いていたら、兄達は捕まえにかかるかもしれない。ツヴェート様の言う通り、警戒に越したことはないだろう。


「いいかい、イヴァン。実家の家族に、甘い顔を見せてはいけないよ。奴らがどれだけ苦しい暮らしをしていようが、あんたにはまったく関係ない。ずっとずっと、アニャの幸せだけを考えるんだ」

「わかった」


 ツヴェート様はきっと俺が家族に同情して、手を貸すのではないかと心配しているのだろう。

 ここでの幸せな日々を知ってしまったら、家族を助けようだなんて気持ちは微塵も浮かんでこないのだが。

 きっと、ツヴェート様は俺を呆れるほどのお人好しだと思っているのだろう。

 大事なもの、守らなければいけないことはわかっているつもりだ。


「大丈夫だから、安心して」

「あんたの大丈夫は、信用できないんだよ」

「厳しいな」


 ツヴェート様は「アニャを頼んだよ」と言って、部屋から去って行った。

 入れ替わるように、マクシミリニャンがやってくる。


「お義父様、どうかしたの?」

「これを」


 革袋が差し出される。また、護身用の道具かと思いきや、今度は硬貨が重なり合って鳴る音が聞こえた。


「どうか、好きに使ってほしい」

「お義父様、そんな……!」

「アニャとふたり、おいしいものを食べて、記念品でも買って、楽しんできてくれ」


 ほんの気持ちだから、と付け加える。

 気持ちだと言われてしまったら、突き返すわけにはいかない。ありがたく、受け取ることにした。


「お義父様、ありがとう」


 マクシミリニャンは淡く微笑み、頭をぐりぐりと撫でてくれる。

 どうしてこの人は、ここまでよくしてくれるのか。胸がいっぱいになる。


「お土産、買ってくるから」

「楽しみにしておこう」


 アニャにも、きれいな布やリボンを買ってあげたい。ミハルの店で、見繕ってもらおう。

 

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