養蜂家の青年は望む
鳥のさえずりで目を覚ます。
瞼を開くと、新緑の瞳と目が合った。珍しく早起きしているアニャである。
「イヴァン、おはよう」
「おはよう」
蜂蜜よりも甘い、微笑みを浮かべていた。
あまりの可愛さに、ぎゅっと抱き寄せてしまう。
しかしこの状態では、アニャの顔が見えない。一旦離れて、もう一度顔を覗き込んだ。
「イヴァン、どうしたの?」
「可愛いアニャを見たくって」
そう答えると、照れたようにはにかんだ。
改めて、アニャは世界一可愛いと思った。
◇◇◇
いろいろあったアニャとの二日間だったが、マクシミリニャンがツヴェート様を抱えてやってきた。
「うわ、お義父様、本当にツヴェート様を抱えて登ってきたんだ」
「ツヴェート様くらいだったら、軽々なのよ。私も、小さなときはお父様が抱えて、山を登り下りしていたし」
「羨ましい……!」
力仕事を毎日しているのに、腕の筋肉が付きにくいのだ。一回、マクシミリニャンに筋肉の付け方を聞いてみたい。
「別に、イヴァンはそのままでいいわ。お父様みたいに筋肉質になったら、可愛くないし」
「え、俺って可愛い枠だったの?」
アニャは返事をせず、ツヴェート様のほうへと駆けて行った。そのあとを追いかける。
「ツヴェート様!」
「アニャ!」
マクシミリニャンから下りたツヴェート様は、ふらふらだった。アニャが腰を支える。
「ツヴェート様、来てくれて、本当に嬉しい」
「アニャとの約束だったからね」
本当の祖母と孫娘のようなふたりの姿を見ていたら、涙がこみあげてくる。
ひとり堪えていたら、号泣する男が視界に飛び込んできた。もちろん、マクシミリニャンである。
ずっと、ツヴェート様のことは心配だったのかもしれない。
家族やリブチェス・ラズの村、ツヴェート様を頼る人々から離してよかったのかという気持ちもあった。けれど体調も心配だし、アニャも頼れる同性がいたほうがいいだろう。これでよかったのだと、思った。
頑張ったマクシミリニャンの背中を、ぽんぽんと叩く。
すると感極まったのか、ぎゅーっと抱きしめられてしまった。
今日ばかりは、胸を貸そう。
マクシミリニャンを優しく抱き返してあげた。
新たにツヴェート様を家族に迎えた生活だったが、あまり大きな変化はなかった。
ツヴェート様は静かに、俺たちの暮らしに馴染んでいった。
今は、新しく開墾した地で草花を育てるための土作りをしているという。あのままでは、植物を育てるのは難しいようだ。
働き過ぎないようにと注意したら、同じ言葉を返すと言われてしまった。
何事もほどほどに。
ここでの暮らしでもっとも大事な心構えなのかもしれない。
「ここは静かなところだ。私みたいな老いぼれにとっては、楽園みたいだよ」
「そうだね」
「アニャの誘いは、断ろうとしていたんだけどねえ」
「まさか、来ていただけるなんて」
ツヴェート様は眉尻を下げて、困ったように微笑む。
「あの
どくんと、胸が大きく脈打つ。
おそらく、俺たちに子どもは生まれない。アニャはわかっていて、そう表現したのだろう。
「イヴァン、今ならまだ間に合う」
「何が?」
「山を下りて、暮らすことだよ。王都での仕事を、息子に頼んで面倒を見てもらうことだってできる。まだ若いから、これからいろいろできるはずだ」
ツヴェート様の言葉に、大きな衝撃を受けた。彼女は今、ここで暮らす以外の道を示そうとしていた。
「それは、アニャが、そうしたほうがいいって、言ったの?」
「いいや、違う。これは、私個人の考えだ。あんたについての話は、アニャから聞かせてもらったんだ」
実家でこき使われ、自由も何もない生活の中でマクシミリニャンが示してくれた道を進んでいった。
けれど、別の道もあっていいのではないか。ツヴェート様はそう提案する。
「本当だったら、人はたくさんある選択肢から、人生を選ぶんだ。けれどあんたは、ここで暮らす道しかなかった。それは、あんまりにも気の毒だろう」
王都で働いて、多くを知ってからここに戻ってくるのもひとつの道だという。
またアニャと一緒に山を下りるのもいい、と。
「とにかく、あんたの可能性は無限にある。山奥で静かに暮らすだけが、人生ではないんだよ。あの娘が言っていたとおり、ここは終わり逝く者達の楽園なんだ。この地にこだわって居続ける必要なんて、まったくないんだから」
「ツヴェート様……」
なんて優しい
他人である俺を想って、言ってくれているのだ。
「アニャのことは、私に任せて――」
「ツヴェート様、俺、ここでいいって思ったことは、一度もなくて」
ツヴェート様の言うとおり、ここは楽園みたいな場所だ。
生まれて初めて自分で望んで、そして望まれた場所である。
可愛いアニャがいて、逞しいマクシミリニャンがいて、暮らしを支えてくれる生き物たちがいて――そして、俺の人生と共に生きる蜜蜂だっている。
「ここがいい。ずっと、そんなふうに考えていた。だから、命が尽きるまで、ここで生きていきたい」
一緒に暮らしてくれないかと、手を差し伸べる。
ツヴェート様は「あんたはばかだよ」なんて言って、手を握り返してくれた。
とても温かい手だった。
ツヴェート様と話をしたあと、マクシミリニャンのもとである提案をした。
それは、ツィリルのことだった。
「お義父様、ツィリルのことなんだけれど、うちでずっと預かるんじゃなくて、一か月から二か月の間に一回、一週間だけ預かるとか、そういうふうにするのはどうかな?」
その提案に、マクシミリニャンは笑顔で「いいと思う!」と同意してくれた。