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養蜂家の青年は、せっせと働く

 アニャからの手紙が朝から届いた。

 なんと、アニャはツヴェート様の説得に成功したらしい。

 王都から息子さん夫婦が来ているというので、アニャは一度家に帰ってくるという。

 アニャと入れ替わりに、マクシミリニャンが街に下りて、一度話をするようだ。

 息子さん夫婦の理解を得られたら、そのままツヴェート様を山に連れてくると。

 ツィリルを引き取る交渉は、また後日にするようだ。

 ようやく、アニャが家に戻ってくる。彼女と会えなかった期間は十日ほど。

 たったそれだけなのに、なんだか長い間会っていないような不思議な感覚だ。

 早ければ、夕方あたりに帰ってくるだろうか。

 迎えに行きたいが、山は一本道ではない。すれ違ったら大変だ。

 それに、仕事が山のようにある。それを放って、行くわけにはいかなかった。


 今日も今日とて、朝からせっせと働く。

 家畜の世話を行い、先日の爆破でぶっ飛んでいた畑の柵を修理し、パンと干し肉、それから塩と蜂蜜を入れた水を持って、大角山羊に跨がって出かける。養蜂箱の見回りだ。

 当然、スズメバチへの警戒もおこたらない。


 大角山羊は片方を残すと運動不足となるので、二頭連れて行く。子どものメーチェはあとでアニャの愛犬ヴィーテスと一緒に散歩に出かけるのでお留守番だ。


 大角山羊のセンツァに跨がり、クリーロの手綱を引きながら先へと進む。


 キョロキョロと周囲を見渡していると、色鮮やかなベリーを発見する。

 この辺りでは、夏から秋にかけて豊富な種類のベリーが採れるらしい。


「ブルーベリーか。ちょっと採って行こう」


 採ったベリーは砂糖で煮込んでジャムにしたり、肉や魚料理に添えるソースにしたり、ケーキを焼いたり。使い方は無限だ。

 去年作ったジャムがおいしくて感激したのだが、まさかのマクシミリニャンのお手製だった。

 なんでもかんでも、アニャが作っていると思い込むのはよくないと思った瞬間である。

 鞍に吊していたベリー採り機を手に取る。これは、櫛を大きくしたような道具で、髪を梳るように枝の間に差し込んでぐっと手前に引くと、ベリーが一気にポロポロ採れる非常に便利な道具である。

 本当は、熟れたベリーを一粒一粒採ったほうがいいという。なんでも、ベリーは一度収穫すると、熟すことはないのだとか。

 しかしながら、選別しながら摘むのは時間の無駄である。酸っぱいベリーも、全体の味を引き締めるアクセントになるだろう。そう信じて、道具を使って摘んでいるのだ。

 手早く摘んだ結果、あっという間にカゴいっぱいに収穫できた。革袋に入れ替え、鞍にぶら下げておく。

 今年は豊作なのか、あちらこちらでベリーを発見する。


 ガチョウ料理と相性がいいらしい、グーズベリー。

 真っ赤な実が美しい、レッドカラント。

 甘酸っぱい味わいがたまらない、ラズベリー。

 ジュースにするのがオススメ、クランベリー。


 山に自生している食料は、ベリーだけではない。キノコも、夏から秋にかけて旬となる。

 キノコについては、まったく詳しくない。毒キノコも多くあるというので、アニャと一緒にいるときにしか採らないようにしている。


 毎年、秋になると毒キノコを食べてお腹を壊し、アニャに助けを乞う人達がでてくるのだという。なんとも恐ろしい話である。


 と、食料調達ばかりしている暇はない。急がなければ、太陽が沈んでしまう。

 急ピッチで養蜂箱を見回り、夕暮れとともに家路に就いた。


 辺りはすっかり真っ暗になる。太陽が沈む時間が、だんだんと早くなっていた。

 もうすぐ夏が終わり、秋の気配を感じてしまう。

 夕食のいい匂いが鼻先をかすめていく。お腹がぐーっと鳴った。

 お腹はぺこぺこ。途中でブルーベリーを摘まんだものの、腹が膨れるわけもなく。

 パンが焼ける匂いに気づき、さらにお腹が鳴った。

 焼きたてアツアツのパンを頬張り、スープで流したい。脂滴る肉に、思いっきりかぶりつきたい気分でもあった。

 ふらつきながらも山羊小屋にたどり着き、盛大なため息をつく。

 終わった――と思いきや、仕事は終わりではない。メーチェとヴィーテスの散歩に行かなくては。


 センツァとクリーロを小屋に入れ、労うように新しい水を与える。

 続いてメーチェを連れ出そうとしたが、びくとも動かない。


「んん? お義父様が散歩に行ってくれたのかな?」


 誰かが散歩に行ったときは、外に連れ出そうとしてもこの態度なのだ。

 正直助かったと思いつつ、小屋の外に出る。


「イヴァン!!」


 愛らしい声が聞こえて振り返った。そこにいたのは――十日ぶりのアニャである。


「アニャーーーー!!」


 走って抱きしめようとしたが、寸前で気づく。一日中働いて、汗まみれだったことに。

 だが、人間急には止まれない。なんとかアニャから軌道を逸らし、地面に倒れ込む。


「ちょっとイヴァン、どうしたのよ!?」

「あ、いや、途中で汗臭いのに気づいて」

「もう! そんなの、今はどうでもいいのに」


 そう言って、アニャは手を差し伸べてくれる。ありがたく、アニャの手を取って立ち上がった。


 そのままの勢いで、アニャは俺を抱きしめる。


「イヴァン、ただいま」

「アニャ、おかえり」

「……逆だったかしら?」

「んん?」

「私、夕方には戻っていたの」

「あ、そっか」


 アニャは照れ笑いをしながら、改めて言葉をかけてくれた。


「イヴァン、おかえりなさい」

「ただいま、アニャ」


 たったそれだけの言葉を交わしただけなのに、なんだか嬉しくなる。

 アニャも同じ気持ちなのだろう。抱きしめる腕に、力が入っていた。


「ね、アニャ。俺、汗臭いから……」

「そんなことないわ。むしろ、草の匂いがする」

「さっき、転んだからね」


 草の匂いだったらいいか。そう思って、アニャの抱擁を受け続けた。

 幸せな時間である。 

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