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養蜂家の青年は、大自然を前に涙する

「イヴァン、ごめんなさい。まさか、こんなことになるとは、思っていなかったの」


 アニャは涙目で、謝る。


「アニャは悪くない」

「いいえ、悪いのは私よ」

「誰も悪くないんだ。自然を相手にするというのは、そういうことなんだよ」


 アニャをぎゅっと抱きしめ、慰めるように背中をポンポン叩く。


「大丈夫、大丈夫だから」

「……」


 アニャと共に切なく見つめるのは、一ヶ月経った開墾地。

 木々はすべて伐り倒したものの、平地とはほど遠い見た目である。


 アニャは一ヶ月ほど作業を続けたら、山は切り開かれると思っていたらしい。

 ちなみに俺は、半月くらいで終わると思っていたのだ。


 なんの、なんの。

 一ヶ月作業したくらいで、終わるわけがない。マクシミリニャンは少なくとも、一年はかかると見積もっていた。

 それを聞いたアニャと俺は、このようにしずしずと涙していたのだ。


「山の中に土地を作るのって、大変なのね」

「本当に」


 アニャは特大のため息をつく。思っていた以上に、開墾は大変だった。


「夏になる前に種植えをしたら、秋口くらいにひまわりが咲いて、そこから蜂蜜が採れると思っていたのに」

「仕方がないよ。今年は開いているところにひまわりを植えて、種を採ろう」

「そうね」


 せっせと、ひまわりの種を植えていく。

 それが終わったら、次なる作業に移る。本日の開墾の時間だ。

 山を切り開くさいに戦うのは木々だけではない。大地からひょっこり顔を覗かせる岩も、また強敵なのだ。

 軽い気持ちで掘り起こしたら、とんでもないでかさの岩だった、なんてことがある。

 誰が、予想できただろうか。蹲ったマクシミリニャンよりもでかい岩が埋まっているのを。

 マクシミリニャンは火薬を使おうと提案したが、さすがに岩の爆破は恐ろしい。

 古き良き方法で、大地に埋まった岩を地上に取り出すことにした。


 まず、埋まった岩を掘る。ひたすら掘る。これが、けっこう辛い。なんせ、先が見えないのだ。

 そのうち、俺は山そのものを掘り起こしているのではないか、などと思ってしまう。それくらい大きくて、規模がわからないくらい岩だったのだ。

 その岩は、掘るのに三日間くらいかかった。


 このどでかい岩は、さすがのマクシミリニャンでも持ち上げきれない。

 どうやって地上に引き上げるのかと言うと、てこを使うのだという。

 掘った穴の適当な場所に、石を置く。それを支点として、鉄の棒を岩に向けて差し込むのだ。鉄の棒を下に押すと、あら不思議。岩が、ほんの少しだけ持ち上がる。


「お義父様、石を、お願いします」

「承知した」


 持ち上がった僅かな隙間に、石を詰め込んでいく。この作業を、岩のありとあらゆる方向から行い、石で押し上げるようにして岩を地上へ出していく。これが、古き良き、岩の除去方法であった。


 この、どでかい岩を地上に出すのに、一週間もかかってしまった。


「火薬を使ったら、一日で終わるのだがな」

「お義父様、火薬が好きなんだね」

「まあ、そうだな」


 俺が進んで火薬を使いたがらないので、亡くなった義父が生き返ったようだと言われてしまった。


「なんとなく、イヴァン殿は、義父に似ている気がする」

「へえ、そうなんだ。どんな人だったの?」

「心優しい男だったが、自分がこうだと決めたことに関しては、トコトン曲げない人だった」

 なんか、そういうのを以前ミハルから言われたことがあった気がする。

 一言で表すならば、頑固だと。


「世界でいちばん、尊敬していた。だから、我はイヴァン殿を、気に入ったのかもしれない」

「じゃあ俺は、そのお祖父さんに、感謝しないとね」


 実家で暮らしていた時には想像できなかった、幸せな暮らしがここにある。

 アニャがいて、マクシミリニャンがいて、山羊がいて、犬がいて、鶏がいる。そんな生活が、愛おしい。


「お義父様、拾ってくれて、ありがとう」

「いいや、こっちが感謝したいくらいだ。アニャは、今まで以上に明るくなった。……これまで、アニャがひとりで泣いているとき、どう声をかけていいものかわからなかった。だが今は、イヴァン殿がいてくれる。それが、どれだけ幸せなことか……」


 本当に、奇跡のような出会いだろう。


 ◇◇◇


 夜、ふかふかの布団に寝転がると、アニャが好奇心旺盛な瞳を向けながら話しかけてくる。


「ねえ、イヴァン。さっき、お父様と何を話していたの?」

「アニャが、可愛いって話」

「もう、真面目に答えてよ!」


 怒られたので、真面目に話さなければ。

 俺がアニャのお祖父さんに似ていると言われた話をしようとしたものの、瞼が重くなる。


「イヴァン、ねえ、もう寝るの!?」


 アニャはポンポン肩を叩くが、それがいい感じに寝かしつけてくれているようで、余計にまどろんでしまう。


「あとでゆっくり、お話ししようって言っていたのに!」

「……うん」


 だって、日の出よりも早く起きて、一日中力仕事をしていたのだ。体はくたくただ。

 今日は、アニャもずっと外で働いていたのに、元気なものである。


「イヴァン、寝ないで、イヴァン!」

「ぐう」


 今日も、寝転がった途端に眠ってしまう。

 そして、朝になったら形勢が逆転し、アニャを起こすためにパン職人にならざるをえないのだった。


 しばらく経ってから気づいたのだが、アニャは夜型で、俺は朝型だったのである。

 

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