第98話 私たち、『楽園』を目指します!
びっくりするほど、星が輝く夜だった。
寝静まった帝都郊外を、黒い風みたいに狼たちが駆けていく。
風が冷たい。
っていうか、痛い。
……あと、ものすごく揺れますね!?
私たちは巨大な黒狼の首近くに鞍を置いてまたがってる、ん、だけど。
私のこの体、全然筋トレが足りないわ!!
しがみつくだけで精一杯、っていうか限界!!
「お姫さま!! 大丈夫!?」
ザクトが私の横に狼を寄せる。
私はどうにか返した。
「限界近いけど、どうにかしますっ!!」
「えっ、健気、かわいい」
ザクト~~~、なんでそこで、ぽっ、とかした?
多分、フィニスが聞いてるよ!?
今口出さないのは、多分、狼たちが大変なところを走ってるからだよ!
そう、屋根の上!! 屋根の上を一目散に走ってます!!
高いとか怖いとかいう情緒は、もう死んだ!!
「城門が近い!! 開けさせている暇はない、飛び越えるぞ!!」
ロカイに乗ったフィニスから声が飛ぶ。
城門。城門ね。楽園に向かう橋を守る城壁と、その門ね。
そう、さっきからどんどん近づいてくる、アレね。
………………高いんですけど!!??
たっか!! さすがに高い!! 屋根どころじゃない!!
あれを? このまま? 飛び越えるんですね!?
ぐん、と、私が乗ってるムギが体に力を溜める。
次の瞬間――浮遊感。
跳んだんだ。
高く、高く、信じられないくらい、高く!
ぐいぐいと星空が近づいてくる。なんてまばゆいんだろう。視界の端がチカチカする。
「う、わ、あ……きれい!!」
あんまりきれいで、私は一瞬だけ怖さを忘れた。
六門教では、星は神聖なものだ。神さまの言葉であり、声であり、目である、と言われる。
それが、こんなに近いなんて――。
「うっ、わっ、だっ!!」
うっとりしている間に、ものすごい衝撃。
狼たちは見事に城門を越え、壁を何度か蹴って、着地した……らしい。
はー…………。し、しんどい。手が痺れて、真っ白だ。
正直、ここまで落っこちなかった私を褒めたい。
「無事か、セレーナ。ここを渡れば『楽園』だ」
フィニスがロカイを寄せてくる。
さすが、彼は呼吸ひとつ乱してない。
私たちの前には、一本の長い橋がのびていた。
橋の先に六層の塔がそびえ、空はゆっくり白み始めている。
「かろうじて、生きてます。『天書』のある天門は、あの最上階ですね」
「そうだ。ここからは警備の兵もいるだろうが、説得も面倒だ、突破する」
「う、薄々そんな気はしてましたが、ほんとにそうなんだ……」
私はひきつった。
直後、カンカンカンカン! とけたたましい鐘の音が鳴り響く。
「フィニスさま、お姫さま、走って!! 俺が最後につきます!!」
ザクトが叫ぶ。
わかった、と叫ぶ前に、私たちの狼が疾走を始めた。
「ザクト、気をつけてね……!!」
狼に揺られながら、必死に叫ぶ。
振り向くと、城門の左右の塔からどっと騎士たちがあふれでてきたのが見えた。
白銀色の鎧の、楽園守護騎士団!
「侵入者だ!! 捕らえろ!!」
「え? 黒狼……? なぜここに!?」
戸惑う彼らに向かって、ザクトが鮮やかに大剣を抜く。
「そうでーす、俺たち黒狼騎士団でーす!! んもーーー、悪名とどろいちゃう!!」
「そうでーす、じゃないだろ!! 許可を取れ、許可を!! それまでは通さん!!」
楽園守護騎士が叫び、ざっ、と槍がザクトに向かった。
「時間ねーんだわ!! ってか、そんなただの武器向けられてもなあ!?」
楽しそうに叫んで魔法剣を担ぎ、一息で振り回す!
並んだ槍が、ばらばらっと刈り取られた。
ぼたぼた落ちて行く槍の穂がきらめく。
ひ、ひえー……。なんか、穂の途中で切れてるやつもありません!?
気づいてたけど、魔法剣の切れ味って、ちょっと異常だ。
「ザクトは大丈夫です!! フィニスさま、『楽園』内の警備は!? 魔道士にぞろぞろ出てこられたら、僕らでは無理です!」
私の一歩手前で狼を走らせながら、トラバントが叫ぶ。
「『楽園』に入ったら、さすがにアレが気づく!」
フィニスは答えた。
アレ。
アレって、やっぱり、アレですか……?
私が微妙な気分になっているうちに、私たちは橋を渡り終える。
石の庭を越え、扉の前に着いたところで、ザクトも追いついてきた。
「はひー、追いついた追いついた、お疲れさんです。あ、扉。壊します?」
「そんな、お手軽に言われても……。フィニスさま、どうします?」
私が聞くと、フィニスは静かに巨大な扉を見上げた。
「ルビン、わたしだ。『天書』に火急の用があって来た」
フィニスは淡々と言う。
目の前のひとに話しかけるくらいの声だった。
ほどなく、ぎ、ぎぎぎぎ……と、『楽園』の塔の扉は開く。
「どういう仕掛けなんですかね、これ」
トラバントがちょっと嫌そうな顔で言う。
確かに自動で開きそうな仕掛けはないし、人も居ない。
「やっぱり、アレ……じゃなくて、ルビンが魔法で開けたのかな」
私はつぶやいた。狼に乗ったまま、ぽかんと天井の高いホールに入る。
壁にはびっしりと人間の彫刻が貼りついていた。
「……フィニスさま、ここ、変です」
すぐに勘づいて、私は囁く。
夢の中で来たときと、様子が違う。
フィニスもうなずいた。
「上へ登るらせん階段の入り口がない。そもそもこんなところに壁はなかった……」
フィニスは囁き、そびえ立つ白い壁を見上げる。
続いて、鋭く叫んだ。
「トラバント、ザクト!!」
「やっぱりそうでした? これは……まずいですね」
「うっそ、めんどくさ!!」
トラバントとザクトが答え、それぞれに剣を抜く。
いきなり殺気が高まる。
殺気に反応したのか、白い壁が、ぶるぶると震え始めた。
かと思ったら、壁からひょろっと手が生えて、私たちに向かってきた!?
「よ………………四番さまだーーーーーーー!!!!」
お、思わず絶叫してしまった……。
ここで!?
ここで出ます? 四番さま!!
えっ、ちょ、な、何!?
なんで!!!!!?????
「下がれ!!」
フィニスが叫ぶ。
ムギがさっと下がる。
フィニスの剣がひらめいた。
一度、二度、剣光が走り、四番さまの手が切り刻まれていく。
べしゃり、べしゃりと破片になって落ちる、手の残骸。
四番さまは、怒りで体を左右に振り始めた。
「……かろうじて斬れるが、こんなもの斬っていたらなまくらになるな」
絶世の美貌でぼやくフィニス。
見とれてたいけど、それどころじゃない。
私はトラバントとザクトを振り返る。
「ねえ、どうして!? あれって、年一で出る神さまじゃなかったの!?」
「東部辺境では確かにそうですね」
「やめろよなー、ここにはバットもボールもねえんだわ」
「待って、バットとボールがあったら、ここで再びヤキュウだったの!? どうなってんだ、ほんと!!」
私は叫ぶ。
フィニスは四番さまから目を離さずに言った。
「落ち着け、セレーナ。おそらくは、野生の四番さまを手本にルビンが作った実験体だろう」
「どうして作ったんです!? なんで!? しかも、野生の四番さまより大分でかくないですか!? きゃあっ!!」
叫んでいる私に向かって、再び四番さまから手が生える!
しかも今度は、一、二、三……な、何本!?
残らず切り伏せながら、フィニスが叫ぶ。
「トラバント!!」
「はいはい。儀式なしでどうにかするなら、これしかないでしょうねえ!!」
トラバントが腰の物入れを探り、何かを四番さまに投げつけた。
パリン! と音を立てて割れたのは、ガラス瓶?
辺りには、ツンとくる匂いがただよった。
「お酒……?」
私はつぶやく。
フィニスは剣を握り直して言った。
「古い神の類いは、大体酒で弱体化する。で、愚痴とか言う」
「言うんだ!? ど、どこが口!? うわ、確かにへにゃへにゃしてきた!!」
「フィニスさま、姫君と先へ! 僕とザクトはこいつをどうにかします!!」
トラバントが叫ぶ。
ザクトは四番さまに向かって、思いっきり剣を振りかぶった。
「ばけもんだらけの東方守ってる俺たちを、なめるなーーーーー!!」
叫ぶと同時に、剣を、投げる!!
長大な魔法剣は、ずぶりと四番さまの体に埋まった。
「必ず、あとから来い!!」
フィニスが叫ぶ。
フィニスの乗るロカイが、床を蹴って跳躍。
ザクトの魔法剣の柄を踏んで、四番さまの向こうへ飛び降りる!
「ひ、ひええええええ、そういうことです!?」
叫んでいるうちに、私のムギもロカイの後に続いた。
□■□
「……四番さまのあとは、案外、邪魔が入りませんね」
「四番さまだけでかなり邪魔だったから充分だ。……体は平気か? 顔が青い」
最上階まで階段を上りきって、私たちは狼を下りた。
『楽園』塔は、しん、と静まりかえっている。
四番さまと戦うザクトたちのたてる音も、すぐに聞こえなくなってしまった。
私は、どうにかフィニスに笑いかける。
「え、えへへ。無事に帰ったら、筋トレします」
「ほどほどにな」
フィニスは少し表情を曇らせる。
やっと剣を鞘におさめ、私の頭をなでてくれた。
こんなときでも、ちょっとだけ、落ち着くな。
なでられながら、辺りを見渡す。
塔の最上階はひどく暗い。
確かあっちに扉があって、それが『天門』で。
その向こうに、『天書』があるはず――。
私が口を開こうとした、そのとき。
「いい夜だったな。星が降りそうなほどに大気が澄んでいた。こういう日には、見えてはいけないものまでもが見えるという」
ひどく楽しそうな、低い声がした。
近づいてくる足音。
深い闇に、フィニスが鋭い視線を向ける。
「だから起きていたのか?」
くくっ、という笑い声。
階段からこぼれる灯りの中に、人影が歩み出る。
金糸で星座を縫い取った漆黒の衣に、ぎらつく赤毛がこぼれる。
瞳は、金を散らした青。
――ルビン。
………………今回は割と私服がまともだな!!??
なんで!!??
いや、今はそういうのはいいんだ。置いとこう。
問題は、ルビンが『天門』の前に立ちはだかっていることだ。
「そうかもしれん。天に最も近い場所、『楽園』が侵入者を許したのは久しぶりだ、フィニス・ライサンダー。役立たずの金眼」
彼は言い、目を細める。
――その目には、怒りがあった。