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第9話 盟約って、それって結婚じゃないですか!?

「おはようございます、今朝も最高に顔がいいですね!」


 はきはきとした私の挨拶に、フィニスはわずかに目を伏せた。


「お前も、今日もまばゆい生気に満ちあふれている。朝一番の雄鶏のようだ」


「雄鶏」


 雄鶏ってあの、飛べなくて、羽毛と鱗が黒くて、コケコッコーっていうやつ?

 私が首をひねっていると、トラバントが顔を出した。


「フィニスさま。僕、何度も何度も何度も何度も言いましたよね。『女性を讃えるときに家畜を出すのはやめましょう』って。一体何度言ったら覚えられるんですか」


「トラバント、お前は雄鶏が嫌いなのか?」


「肉の味は好きです! そーじゃなくてですね、あなたの詩才のなさについて話してるんです、今は!!」


 トラバントは、だるそうな態度をかなぐりすてて必死だ。

 一方のフィニスは、美しい顎に美しい指を当てて美声で答える。


「そうか。朝一番の雄鶏は本気ですごいんだが。あのキック力にはかなりの美を感じる」


「ない! ないです。零点です、零! だめ! いいですか~、次に婚約者さんに会う前には、詩の特訓しますからね。今度こそ逃がしませんよ」


「トラバント、顔が怖いぞ。まるでぶつぶつ穴あきパンケーキの糖蜜がけだ」


「下手くそな比喩なのに屈辱感だけはばっちり与えるの、やめてくれませんかね!?」


 目の前で繰り広げられた推しの漫才に、私は固まっていた。

 頭の中で、猛烈に推しの情報が更新されていく。


「詩才のない美形……雄鶏を全力で誉め称える推し……漫才の才能……。これは、この感覚は――新たな萌え!! ありです!!!!」


 私が席を立って叫ぶと、視界の端と端でザクトとトラバントが『うわあ』という顔をする。

 フィニスだけは動じず、穏やかにうなずいた。


「とにかく元気が一番だ。隣に座ってもいいか?」


「隣」


「……顔色が悪くなったな」


「あ、はい、一瞬死を覚悟しましたが、私、死にません!! フィニスさまと朝ご飯を食べ終わるまでは死にません!!」


「可能なら、あと五十年くらいは生きて欲しいところだ。では、邪魔をする」


 フィニスは言い、自分の盆を私の隣に置く。

 団長なのに、彼もここでみんなと同じごはんを食べるんだ。

 前世のフィニスと食事したことは何度かある。いつも改まった席で、彼の作法は完璧だった。肉の切り分けをやらせたらとにかく鮮やかで、優雅で、なるほど、これが東の辺境を任せられる武人か、とうっとりしたのを覚えている。


「じゃ、資料はこっちに置きますから、なるべく汚さないでくださいね」


「わかっている」


 トラバントがどさりと置いた羊皮紙の山を横目に、フィニスは薄く切ったパンの上にざらーっ、と皿の食べ物を移動させた。


「えっ」


 マナーも何もない態度に、思わず素の声が出る。

 フィニスは気にせずもう一枚のパンを上に載せ、ありとあらゆるものを雑多に詰めこんだサンドイッチを作り上げた。

 そのあとは鋭い視線を羊皮紙に落としながら、サンドイッチを掴む。

 巨大なサンドイッチは、二口で彼の胃に消えた。

 私は叫ぶ。


「魔法か!?」


「ん? ああ、お前の魔法生物、狼については手配中だ。何せ正規入団の季節ではないから、空いている狼がいない。パートナーを失った狼は数匹いるが、彼らは基本的に生涯パートナーを替えないからな。よほど相性がよくなければ拒否される」


「や、それはありがたいんですが、その……いつもそうやって召し上がっておられるんですか?」


「貴婦人と食べるときはもうすこし気を使う。お前もれっきとした貴婦人なんだが、まあ、もう仲間だからな」


 さらっと仲間扱いされたのははちゃめちゃに嬉しい。

 けれど、もう貴婦人扱いされないんだな、というのはちょっとだけさみしく思えてしまった。

 実は、今世の彼には私じゃない婚約者がいる。

 私がこんなふうになったんだから当然だ。

 彼は今世の婚約者とは、前世みたいに品良く食事を取るんだろう。

 しょうがないことだ。今の私は、彼にとってはどんな雑な姿を見せてもいい存在なんだから。

 ……なんだろ、この気持ち。

 よくないなあ。


 ――よし。


 心を決めた私は、自分も残ったお皿の中身をかぱっとパンの上にあけ、パンをふたつに折りたたんで、かぶりついた。


「……あ、思ったより美味しい。血の旨みと芋のクリームが合わさって完璧なソースになってる」


「…………」


 勇気を出してやってみたら、これってちゃんと美味しい。それだけで、私はずいぶんほっとした。

 彼は忙しい軍人なんだ。美味しくて楽なら、そっちを選んだっていい。私がお姫さまの常識に縛られていただけだ。

 ほっとしたら嬉しくなってしまって、私はフィニスに笑いかけた。


「フィニスさま、これ、こっちの酢漬けを入れるとさらに美味しいんじゃないですか? よければ次は酢漬けありも試してみてください!」


 フィニスはゆっくり瞬き、不思議そうに言う。


「ああ。うん。……しかし、あれだな。貴婦人にも、口はあるんだな」


「フィニスさま、寝てます?」


 さすがに口はあるだろう。

 私のツッコミに、フィニスはだんだんと笑顔になった。

 金色の瞳があまい糖蜜色に変わり、声は絹みたいになめらかになる。


「起きている。……いや、寝ていたのかもしれないな。たくさん食べる貴婦人を、生まれて初めて見た。きれいだ」


「――――…………!!」


 はあああああああああああ!?

 はあ……あ、あ、はあ……。

 な、なに、いまの。

 なに、いまの、素の、『きれいだ』、なに?

 殺人兵器か? 虫けら一匹逃さない勢いか?

 私の頭は真っ白になり、呼吸は止まった。

 たまらん。今すぐ、この気持ちのまま死にたい。

 私が固まっている隙に、向かいで黙りこくっていたザクトが立ち上がる。


「あのっ!! お話中申し訳ありませんが、そいつの盟約者はどうします? 一応騎士にするんなら、盟約者が必要でしょう。いつまでもフィニスさまのお部屋にいるってわけにもいかないでしょうし!!」


 さっそく話を逸らしにきたな。

 またまたそうやって小手先技を~とも思うけど、正直なところ助かった。

 萌えの過剰供給は寿命が縮む。

 私は一息吐き、フィニスは考えこんだ。


「盟約者か。説明がまだだったな。セレーナ、騎士団内では親しい団員同士が盟約を結ぶ。特別に相手を思い、自分の名を記した短剣を交換し、共に行動する。そういう決まりがあるわけだ」


「そう。俺たちは団結力が強みだからな。盟約相手が戦死したときには、どんな苦難があっても相手の遺品や左手を故郷まで持ち帰る。不名誉なことがあれば、盟約相手の名を刻んだ短剣で命を絶つ!」


 どや顔で拳を作って見せたのはザクトだ。

 私はどうにか呼吸しながら、声をしぼり出した。


「は~~……本気ですか、その決まり。えっちでは……?」


「え、えっち!? えっちじゃないだろ、どこがえっちだよ!! やめろよ!!」


 ザクトは顔を真っ赤にして叫ぶ。

 周囲からも笑いが湧いているあたり、愛されてるな、ザクトくんは。

 フィニスは平然とした面持ちで続ける。


「戦争が終わったあとも、盟約者だけは死んだ盟約相手の仇を取れる。盟約者とはすなわち、命で繋がったふたりだ。今のところ、セレーナはわたしと盟約を結ぶことになるだろうと思っている」


「は……はーーーーーーーーーーーー!?」


「どうした、ますます顔色が悪いが」


 フィニスは心配そうだけど、私にはもう強がる力がない。


 命で繋がるとか、そんな、そんなの、もう――結婚では?

 結婚! 結婚ではないですか!?

 前世で出来なかった結婚を、こんな形でしちゃうのか!?

 大歓迎ですけど、そりゃもう大大大大大歓迎ですけど、心臓がー! 心臓がー! どなたか、私に新しく健康な心臓をくださる方はいらっしゃいませんかー!?


 ぜえぜえと喉を鳴らし、私はつっぷす。

 ザクトは焦って身を乗り出した。


「き、聞いてないです!! 団長は、もう誰とも盟約は結ばないって!!」


「誰もそんなことは言っていない。それに、彼女はわたしを守るためにここに来たんだ。そうだろう? セレーナ」


「そ、そう、そうです、けど、待って、私の心臓が息してない、えっちすぎて……」


「落ち着け。心臓は息はしない」


「は、はひ、そ、そーですね……ひー……」


 こんなときでも冷静な推し、すき……すきです……。

 私がしあわせに二度目の死を覚悟したとき、ザクトが力一杯卓を殴った。


「ゆ、許さねえ!! それだけは、絶対に、この俺が許さねー!!」


「許さないならどうする」


 フィニスが静かに問う。

 ザクトはぶるっと震え、彼は私を指さして言い切った。


「その女に、セレーナに、俺が決闘を申しこみます!!」


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