第77話 私のことが好きって……いつからですか!?
「手当ありがとう! 今度お礼するからね!!」
私はお礼を言って、鍛冶屋の奥さんのところを後にした。
いったん戦闘が終わったあと、私たちは騎士団本部に帰ってきている。
本部はまだまだざわついていた。帝都から資材や増員も来るし、手薄な砦に配置されるために出ていく人員もいる。
みんなの声はちょっと大きい。負傷してるひとたちもいる。
私は、少しだけふわふわしている。
こわばった手を何度か、握って、開く。
魔法剣で人を斬る感触が、まだそこにある。
……軽かったな。怖いくらい。
落ち着かない空気の中、私は自室、つまりフィニスの部屋に戻った。
そーっと扉を開けると……真っ暗。
「――フィニスさま?」
「セレーナ。どうだった、怪我は」
あ、やっぱりいた。
私は暗闇に入っていく。
「打ち身とか擦り傷とか色々ありました。ほんとに気づかないんですね」
「興奮しているからな、戦場では。君はよくやった。立派だった」
目が慣れてくると、円卓でロウソクが一本燃えているのがわかる。
フィニスは、ロウソクをながめて頬杖をついていた。
「フィニスさまは、例の、『暗い部屋で炎を見つめる趣味』の最中です?」
「ああ。もう、明かりをつけよう」
「や、このままで! このままでいいです。……私も、ご一緒していいですか?」
私は聞いた。
明かりをつけたら、フィニスはきっと強がってしまう。
「もちろん。お前の部屋でもある、好きにしろ」
「はい、では、好きにします」
私はフィニスの向かいに座った。
この暗さだと、フィニスの顔に動揺しすぎなくて、いいな。
「……ばかばかしいと思うだろう」
「何がです?」
「さんざん殺しておいて、あんな屍人ひとりでぐらつくのが」
ちょっと自嘲気味な声。
いやいやいや。普通ぐらつくよ、あれは。
「人間も、関係も、色々あります。大切な人と知らない人じゃ、感じ方は違って当たり前じゃないでしょうか。それに」
「それに?」
……これ、言っていいのかなあ。
わからない。わからない、けど。
私が言わなかったら、きっと誰も言わないことだ。
「アクアリオさん、門をくぐってなかった。フィニスさまが、せっかく左手を持っていったのに。正しい門をくぐれず、この地にとどまってた、ってことですよね……?」
言ってて、苦しくなってしまった。
死霊となってうろつく死者は、生前悪人だった人間だという。
そうなったらまともな門はくぐれない。
死霊はみんな、地獄へ行くのだ。
「そういうことだ。わたしの小細工なんかで神をだませるわけもなかった。アクアリオは地獄に行く。わたしは山ほど殺し、おそらくは正しく埋葬され、正しく生まれ変わる」
フィニスは笑ってるみたいだった。
私は黙りこむ。
なんにも言えない。私じゃだめだ。
フィニスの悲しみを消せるのは、アクアリオ本人だけ。
アクアリオが今すぐここに現れて、『ごめーん、全部嘘でした!!』とかなんとか言ってフィニスの頭なでて、ちゃんと門をくぐって立ち去ってくれるとか――それくらいしか、解決法がない。
「……思ったんですけど」
「なんだ」
「私が男だったら、フィニスさまのこと、ぎゅっとして慰められました?」
私が言うと、フィニスは驚いたようだった。
確かに、ぶしつけだよね。
でも、ほんとに、それくらいしか思いつかないんだ。
ぎゅっと抱きしめて、一緒にぼーっと朝を待つくらいしか。
「……どうだろうな。多分男相手なら、こんなことは話さない。他の女でも話さない」
「そうなんですか」
「ああ。君は子狼のように無垢で、強い。アクアリオのことであんなに怒ってくれたのも君だけだ。だから――わたしをぎゅっとしないほうが、いいだろうな」
フィニスの声が、やわらかくなっていく。
なんだろう、これ。
胸が苦しい。
「なんで?」
私は聞く。
フィニスはそっと答える。
「わたしは君が好きだから」
――………………。
えっと。
その。
それって……?
「それって、盟約者の範囲内の『好き』ですかね?」
「恋だと思う。誰にも教わらなかったが、そう思った。生まれて初めて」
フィニスの声は、あいかわらずやわらかい。
優しいっていうより、やわらかい。
私は、息の仕方がわからない。
「い、いつ……?」
「君がアクアリオのことで、最初に怒ったとき」
「ずっと前じゃないですか!!??」
思わず怒鳴ってしまった。
ロウソクの炎がゆうらり、ゆれる。
フィニスは微笑んだ。
「ずっと前だ。だから、慎重になったほうがいい。君はわたしを傷つけない距離にいてくれる。でも、わたしはひょっとしたら踏み外す」
やさしい。どこまでも、やさしい。
やさしさが、喉に詰まる。
呼吸して。
吸って、吐いて。
――言葉を。
「わかりました」
どうにかそれだけ、しぼり出す。
フィニスのやさしさを、無駄にはできない。
私を。この、二度目の私を。
ずっと――あの、シロと出会った星降る夜から、ずっと。
静かに好きでいてくれた、フィニスの、やさしさ。
「今日は早寝したほうがいい。眠れなくとも横になるんだ。体だけでも回復させろ」
フィニスは言い、立ち上がる。
私は、うなずくことしかできない。
「はい」
「おやすみ、セレーナ」
「おやすみなさい」
彼は私に背を向ける。
もう、なでてもくれない。
多分、これからも、ずっと。
「……あの!!」
私は立ち上がった。
椅子が転がる。よろめきながら、フィニスの背中にしがみつく。
「あの、やっぱり、放っておけない、と、いうか……。私……私、が、ぎゅっとしたいです」
みっともなく声が震える。
どっ、どっ、どっ、と、心臓がうるさい。
何してるんだろう。何してるんだろう、私。
どうしても、手を放したくない。
「傷ついた子犬にするみたいに?」
フィニスは言う。
ぐっと涙が盛り上がりそうになる。
私は、歯を食いしばる。
「違います。フィニスさまだけです、私」
そう。あなただけ。
ずっと、ずっと。前世からずっと、あなたしか欲しくない。
あなたの死なない未来しか、欲しくない。
お願いだから、しあわせになって。
お願いだから、苦しまないで。
うつくしい夢だけをみて。
やさしい人と一緒にいて。
あなたは、しあわせでいて。
――生きて。
フィニスがそっと私の手をほどく。
彼はそのまま、私のあごを押さえた。
ふわ、と、唇が重なる。
……え。
え、え、え。
あの。その。今の、は。
ほんの一瞬で離れていったけど、今のは。
くちづけ、でしたね……?
「噛みつかれたな」
いたずらっぽく笑って言い、フィニスは私を押し放す。
さみしい。
いやだ、引きはがさないで!!
あなたと一緒にいたい。
ずっと、もっと、一緒にいたい!
「フィニスさま」
「後悔しただろう?」
してるわけない、そんなわけない!
そんなふうに言わないで。
最初からあきらめないで。
私が後悔しているものがあるなら、それは、私の前世です。
あなたを少しも守れなかった。
前世の、非力で無能な私です!!
「違うんです。私……違うんです。私は、あなたの死を、知ってます。だから」
「わたしの死を?」
フィニスが怪訝そうになる。
そうなんです、私はあなたの死を知っています。
あれを、二度と繰り返したくない!!
今にも叫び出しそうだった。
でも――叫んで、どうなる?
自分が『二度目』かもしれない、って告白するの?
私もアクアリオと同じ地獄に行くよって、あなたに言うの!?
「……ごめんなさい。変なことを言いました。もう、寝た方がいいですね」
どうにか、それだけしぼり出す。
「ああ。おやすみ」
フィニスは短く言って、寝室に消えた。
「おやすみ、なさい」
私はつぶやき、その場にしゃがみこむ。
涙が湧き出て、ぼろぼろとこぼれていく。
――人間というのは、面白くて、難儀じゃのう。
椅子の下にいたシロが、ちょろりと肩に乗ってため息を吐く。
私はシロを撫でながら、しばらく声を殺して泣いていた。
悲しい。ひどい。苦しい。
まだ、唇は甘く痺れているのに。
私は、ひとりで。こんなにも、ひとりで。
でも――これが、正しいんだよね?
どんなにつらくても、あきらめずに行けばいいんだよね?
誰かに『それでいいよ』って言って欲しいけど、そんなひとはいない。
自分で、立ち上がるしかないんだ。
今さらゆらぐな。先へ行け。
運命なんか、鼻で笑えるところまで――!!