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「さあ、やってきました、北の森探検隊第二陣!」

誰に対しての宣言なのかはわからないが、涼は決意していた。

「今回こそ、食の充実を図る!」



前回、北の森に食の充実を目的に出かけた時は、アサシンホークに行く手を阻まれた。

アサシンホークは「暗殺者アサシン」の名を冠する通り、対象が気付かないうちに命を落とすことの多い魔物である。

空中という死角から、不可視の風魔法エアスラッシュを放ってくる。

前回、アサシンホークの一撃目を涼がかわすことができたのも、偶然に近い。

そのアサシンホークに対して、準備万端整ったのか?


「まだ勝てないから、出会ったら即撤退」


前回の遭遇から進歩していない気もするが、決してそんなことは無い。

今なら、前回に比べて余裕をもった撤退戦を展開することができる…はず。

倒すことができないのは、いわば相性の問題である。


グレーターボアは、強さ的には決してアサシンホークに劣る魔物ではない。

だが、涼が、グレーターボアには勝ててもアサシンホークには勝てない、と思っているのは、敵の動きを止めることができるかどうかの違いである。

グレーターボアは、涼の魔法の効果範囲にさえ入ってくれば、アイスバーンで動きを止めることが出来た。


しかし、空中に浮かぶアサシンホークはそういうわけにはいかない。

<アイスウォールパッケージ>でアサシンホークの周囲を囲もうとしても、前回は逃げられた。

涼の狩りの基本は、敵の動きを阻害し、そこに攻撃を加えるというものである。

現状、動きを阻害できないアサシンホークは、相性最悪の敵なのだ。

そういうわけで、「出会ったら即撤退」というわけだ。


「アサシンホークはともかく、前回はイチズクを手に入れた。前回の場所には、これから熟れそうなイチズクがまだあったからあれの回収と、何か別の味付けになるもの…コショウみたいなのがあると最高なんですけどねぇ」




装備品は、レッサーボア革の腰布とサンダル、ナイフ付き竹槍、そして麻袋。

いつもの遠征道具一式である。



結界を北に出てすぐのところ、前回イチズクを手に入れた場所には、新たに熟れたイチズクがなっていた。

「うん、大漁大漁」

十個のイチズクを麻袋に入れ、さらに北を目指す。


そして、前回アサシンホークに襲撃された場所についた。

結界から二百メートルほどの場所である。

「前回はここで襲われたんだよね。でも、今回はいなさそうだ」


よく見まわしてみると、そこはほんのわずかに鬱蒼とした森が途切れ、木々の重なりがあまりない場所であった。

つまり、空中から攻撃をするのに適した場所と言える。

「あの時は全然気づかなかった。それだけいっぱいいっぱいだったのかな」




周囲を警戒しながらも、さらに北へ進む。

結界から五百メートルほど離れた場所で、ついにそれを手に入れることができた。


「ホントにあった…この緑の房…コショウだよね…」

デラウェアのブドウ、種がつかないように何とか液に浸す時のあれくらいの大きさの緑色の房…。

ブドウ農家やコショウ農家に言わせれば、「全然似てないわ!」と大目玉をくらいそうな涼の認識である。


一粒とって噛んでみる。

ピリッとした辛みと共に、口と鼻腔に拡がる香り。


一般的には、この緑の状態で収穫し、時間をかけて黒くなるまで乾燥させたブラックペッパーが有名である。

だが、地球の東南アジアには、この緑のままのコショウを、鶏肉などと炒めて食べたりする地域もある。


とはいえ、涼も、この緑のままのコショウを味わったのは初めてであった。

「よし、採取!」

イチズクと合わせると麻袋の半分くらいまで詰め込まれたコショウ。

大航海時代なら、これだけで一財産である!

「当初の目的はほぼ達成したけど、もうちょっとだけ進んでみよう」




さらに三百メートルほど進んだだろうか。

視界が開けた先には湿地帯が広がっていた。

「湿地帯と言えば、リザードマン…」



あいにく、その湿地帯にはリザードマンはいなかった。

「いや、まあ、いたら全力で逃げるしかないんだけどね。多分、今の僕以上に水属性魔法の扱い、上手そうだし」

リザードマンは種族特性として、水属性魔法との相性が非常に高い魔物である。


『ファイ』におけるリザードマンは、人間との意思の疎通をとることは出来ず、『知恵のある魔物』とは思われていなかった。

リザードマンのいる湿地帯に人間が近づいたら、問答無用で攻撃されるのだとか。

「この湿地帯をよけてさらに北に行くのはちょっと大変かな」



右手に竹槍、左手に麻袋。

麻袋の中には大切なコショウが入っている。

もしもこれが湿地の中に落ちたり、泥で汚れたりしてしまったら…。


「今日のところは、これくらいにしておいてやろう」

どこかのヤクザ屋さんのようなセリフを吐き、家に戻ることを決めた涼。


だが、その時、ふと湿地帯に生える植物が目に入った。


一度視線を外し、そしてもう一度、今度は驚愕の表情で先ほどの植物を見る涼。

そう、これが二度見である。

「似ている…」


もちろん、涼の記憶している植物よりも丈は低い。

それに、横にもバラッと広がっている。

そして実も、手で触れたらバラバラとすぐに落ちそうである。色も少し濃い。


だが、それでも、多分これは…、

「稲…だよね…」


誰かが栽培しているわけではない、自生している稲。

『野生稲』というのを涼も聞いたことはあった。

現代地球でも、東南アジアやインドには、野生稲が自生している地域がけっこうあるのだと。


だが、そんなに都合のいいことがあるだろうか。

稲、あるいは米というのは、転生ものでは相当生活に慣れた後に、苦労して探して探して世界の半分ほどを歩いて、ようやく巡り合うことができるものである。

そう、それが定番。


まず出会うのは黒く堅いパン。

そして次が白く柔らかいパン。

そして最後に、ようやく米に出会うのだ。

それなのに…。


「いや、考えるのは後にしよう。とりあえずこれを確保して家に持って帰ろう」

よく見ると、湿地帯中に、かなり広範囲に野生稲と思われるものが自生している。

竹槍から取り外したナイフで、穂の部分を切り取り麻袋に入れていく。

最終的に、麻袋がほぼ満杯になるまで刈り取り、何かに襲われて今日の大戦果が失われるようなことが無いように、走って家まで帰った。



家に着いた涼は、まず氷の箱を作った。

涼の水属性魔法で作る氷は、無意識の状態でも涼から魔力が流れ込むようになったらしく、普通では融けることはなくなった。

意識して、魔力を流れ込ませているその魔力線とでも言えるようなものを切断すると、普通の氷のように融けてしまう。

なので、家の中には涼が作った氷の箱がけっこうあるのだ。

維持するのに使われる魔力も微々たる量らしく、それで生活に何らかの支障をきたしたことは無い。


今回の氷の箱も、大きめのスーツケースほどの大きさで、その中に取ってきたコショウを入れた。

さらに麻袋に入っていたイチズクも台所のテーブルの上に置く。

これで麻袋の中に残っているのは、野生稲だけである。

「まず、この稲…お米として食べられるのか…?」



一般的にお米というのは、稲穂を脱穀して籾だけの状態にする。

この籾をよく乾燥させる。

米の保管は、この籾の状態で保管しておくと味が落ちにくい。

もし、次年度稲の苗を育てるのであれば、この籾を使って育てることになる。

そして、食べる前にこの籾を籾摺り機にかけて、皮をむく。

そうしてようやく、日本人が『お米』と呼んでいるものが手に入るのだ。



そして現在、涼の手元に、それらの道具は一切ない。全くない。


お米が手に入ってイージーモードとか、心の奥底でちょっと思った涼であったが、手に入ってからが大変なのである。

これが定番の転生ものなら、すでにどこかの地方や国でお米を作って食べる文化があるために、こういった部分での困難はない。


だが、この『ファイ』のロンドの森には、そんな文化は無い。

というか、ミカエル(仮名)の言い方からすると、涼以外の人間は住んでいない。


とはいえ、まずは方針を決めなければならない。

「まず明日にでも湿地に行って、もう少し野生稲を確保してこよう。ある程度は、根から丸ごと確保して、家の周りに作る水田に移植しよう」

すでに水田を作ることは確定しているらしい。

「今日とって来たものは、なんとかしてお米を取り出し炊いてみよう」



まず脱穀である。

稲穂から籾を扱いで手に入れる…江戸時代から大正時代まで千歯扱きなどでやっていた作業だが…これは必要なかった。

麻袋の中で、勝手に稲穂から落ちていたからである。

これは野生稲の特性の一つで、少し触れただけで実が落ちるのだ。

そのために、収穫する際に困難が生じる場合があるのだが、今は気にする必要はない。

「おぉ、勝手に外れてる。ラッキーだ」

涼の認識などその程度である。


手に入った籾、本来はこれをよく乾燥させる。

最近の日本なら、大型の乾燥機で十時間以上乾燥して水分をかなり飛ばしたものである。

「とりあえず今日食べる分は、乾燥は無しにしよう」


そして籾摺り…つまり籾の表面を覆っている皮を剥ぐ。

一粒だけ手に取ってみる。

大きさ的には、日本のお米とほとんど変わらない。

「ジャポニカ米、って言うやつだよね。なんとなくインディカ米かと思ってたけど、ジャポニカ米に近ければ、日本のお米の炊き方でいいよね」

未だに籾摺りもできていないのに気の早い事である。


現在の地球においては、そもそもの稲作の起源は一万年以上前、中国の長江流域だったというのが定説となりつつある。

もちろん、いわゆるジャポニカ米である。

そこから西方に流れ、インディカ米が生じたとされており、栽培米としてはジャポニカ米の方が先なのだ。


手に取った籾、爪を使って皮をむいてみる。

「案外簡単に剝ける。最悪、一個ずつ剥くしかないかな」

籾摺りにいったい何時間かけるつもりなのか…。それともこれが日本人の米に対するこだわりなのだろうか。



何か皮を剥くのにいい方法は無いか…考える涼。

涼が使える方法は、水属性魔法しかない。

そのなかでもここで使うとしたら氷であろう。


そこで思い出したのが、レッサーボアの皮をなめした際に使った<氷ローラー>。

あの時は、なめした革をプレスして柔らかくした。

今回は、『プレス』の為ではなく、『剥く』ために使う。


二つの氷ローラーを使うのだが、回転数を上げ、ローラーの間から弾き出すようにしてみれば、勢いで剝けるのではないか?

氷ローラーの生成も、空中での回転も水魔法で行う。

魔法制御を上手くやればいけるはず!



ローラーの準備は完了。剥いた米を飛ばす先には氷の箱を設置。

まず五粒ほどローラーを通してみる。


ガリッ


皮は剝けた。剝けたのだが…お米も割れた。

「ま、まあ、割れても味に問題は無いよね」

その後もローラーに通し続ける。

籾の大きさにかなりばらつきがあるらしく、小さいのに合わせると大きい米が割れ、大きいのに合わせると小さい米が飛ばされることなく下に落ちていく。

妥協と、見て見ぬふりを組み合わせながら、なんとか二合ほどのお米の籾摺りを終える。


「ふぅ、アサシンホーク以上に困難な戦いだった…」


後はこれを炊く。炊飯、というやつである。

ミカエル(仮名)が準備してくれた家には、竈がある。

そして、その竈で使う用であろう、木の蓋つきの鍋が二つある。

涼は、これを使って米を炊くつもりであった。


まず鍋を綺麗に洗う。

そして、氷のボウルに入れた米も洗う。

洗う際に、この野生稲から採取した米からも米ぬかが出るのが見てとれた。


鍋に米を入れる。

入れた米の上に手を置き、手の甲が隠れるくらいまで水を入れる。正直、この野生稲の米が、どれくらいの水量で炊くのがちょうどいいのか、涼には全くわからなかったのだ。

そのため、地球の知識そのままを使ってみた。

そして氷の蓋をする。

これは圧力がかかっても飛ばないように、少し重めの蓋にする。


涼の実家は、いわゆる電気炊飯器では炊飯せず、ガスコンロに鍋をかけてお米を炊いていた。

そっちのほうが美味しく炊けるから。

ただ、火の加減はコンロが自動でやってくれていたので、どうすればいいのか涼は知らない。

だが! 世界には美味しくご飯を炊く常識があるのだ!


「初めちょろちょろ、中ぱっぱ、赤子泣いてもふた取るな」


とはいえ、具体的に何分で「中ぱっぱ」にすればいいのかは、涼は知らない…。

「とりあえず三百秒くらい? 五分くらいたったら火力を上げよう」

火の扱いは、もうお手の物である。

火の扱いがお手の物な、水属性魔法使い。

器用貧乏な印象しか与えない…。



全体で二十分かけて炊き上げた。


火を落として、しばらく待つ。蒸らし、である。

蒸らしを十五分ほど終えて…ついに


「ご飯よ、いらっしゃ~い!」

大量の湯気の後に出てきたのは、白米…ではなく、少し黄色いお米。

「ま、まあ…多少の違和感は、ね」


左手に氷の茶碗、右手に氷のしゃもじ。

心を落ち着けながらゆっくりと茶碗によそう。

しゃもじを消して、二本の氷のお箸を右手に生み出す。

「では、いただきます」

……。


「日本のお米とは少し粘りとか違うし、口の中での味の拡がりも違うけど…でも、これは間違いなくご飯だ!」

歓喜に打ち震え、また、ただひたすらにご飯を口に運ぶ涼。


そこには、泣きながらご飯を食べる水属性魔法使いの姿があった。


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