0058
冒険者ギルド宿舎。
冒険者ギルドに登録後三百日以内の者たちが、入居することを許される宿舎である。
そのため、冒険者としては初心者が多い。
もちろん、初心者ではあっても、冒険者になろうという者たちの多くは、気が強かったり、それなりに腕に覚えがあったりする……もちろん本人基準であるが。
そんな宿舎の十号室は、一階の一番奥の部屋である。
そこからは、冒険者ギルド屋外訓練場や、宿舎の中庭などが見える。
そして今しがた、十号室において、涼は解毒剤の錬金に、ついに成功したのであった。
ニルス達に採取を依頼したのとは別に、涼は錬金術の初歩を実験していた。
ロンドの森では結局、一度も見つけることが出来なかった解毒草、それをルンの街の薬草屋で見つけたのである。
しかもすぐ隣りには燐花草の葉も売っていた。
この二つを錬金術で調合すると、解毒剤が出来る……もうこれは神のお導きに違いない!
さっそく買って帰って部屋に引きこもり、『錬金術 最初のレシピ集』に載っている魔法陣を紙に書き出した。
これあるを期して、街の道具屋で購入しておいた乳棒、乳鉢その他調合道具を机に並べ、磨り潰す。
磨り潰したら量り、混ぜ合わせ、そしていよいよ錬金術の魔法陣に魔力を通す。
だが、これが難しかった。
通す魔力が多すぎても少なすぎてもいけない。
だがレシピ集にある表現は『ある程度の魔力』などという、あまりに曖昧な表現なのである。
まあ、水や電気ではないから、数値化するのは難しいのだろうが……。
その適切な魔力量を探し出すのに、一心不乱に取り組んで三十分。
ようやく錬金に成功したのである。
初の、錬金術成功の瞬間であった。
「フフフ、勝ったな」
そう、涼は勝ったのである……何に勝ったのかは、誰にもわからないが。
そんないい気分に浸っている涼の目の前、宿舎中庭において、何かトラブルが起きている様であった。
窓は開いているために、声は聞こえてくる。
さきほどからやっていたらしいが、涼は集中していたために耳に入ってこなかったのである。
「おい、てめえら、嫌がってんだろ。やめろや」
「俺たちは王国騎士団、俺たちの酌をすれば、今夜は楽しい夜を過ごせるぞ。何なら、ルンの街にいる間、飼ってやってもいい」
「い、嫌です、離してください」
冒険者なりたての女性に、騎士団が手を出しているという場面らしい。
その女性も、どうみてもまだ未成年、女性というより女の子、アモンと同じくらいの年齢である。
そして、その女の子を守ろうとしているのが、なんと一号室のダンとその取り巻きたちであった。
まあ、ダンたちが、最初にその女の子に目をつけていた可能性もあるわけだが……その辺りは、宿舎事情に詳しくない涼には判断のつかないところである。
「女、宿舎にいるってことはまだ冒険者なりたてだろ? たいした金もないだろうから、俺たちが奢ってやるってんだ、ありがたく酌をしろ」
「夜の相手もな」
そういうと、五人の騎士たちは下卑た笑い声を上げた。
「嫌です、お断りします」
「おら、嫌がってるだろうが。あんまり舐めた真似してると、はったおすぞ」
嫌がる女の子、そしてそれを救おうとするダン。
ここに涼が飛び出すのは余りに無粋……。
とはいえ、どう見ても騎士たちの方が強そうである。
おそらく、大海嘯の監察官のお供についてきている騎士たちであろう。
(街中ならそういうお店もあるだろう、そこに行けばいいのに……物好きな騎士たちだ)
涼の感想はその程度であった。
だが、中庭では徐々に緊張感が増していく。
そして、ついに一線を越えようとしていた。
「下郎が……。冒険者のゴミども、礼儀というものを教えてやる」
そういうと、女の子の手を握っていた騎士は、女の子をダンの方に突き飛ばすと、剣を抜いた。
「殺しはしない。ちょっと礼儀を教えてやるだけだ」
そういうと、大きく一歩を踏み出し……滑って転んだ。
「ウグッ」
体重をかけた足の下に、一瞬だけアイスバーンが発生したことに気付いた者は、騎士の中にもダンとその取り巻きの中にもいなかった。
「くそが……。そこを動くな。礼儀を教えて……」
(<アイスバーン>)
騎士はまた、滑って転んだ。
「ウゴッ」
「貴様、何をした!」
他の騎士たちが、ダンに詰問する。
「いや、何もしてないだろうが。そっちが勝手に転んでいるだけだろ」
ダンは当惑していた。
いざとなれば戦おうと思っていたのだが、近付いてこようとした騎士が、いきなり転んだのである。
しかも二度も。
もちろん取り巻き達の方を見てみるが、全員首を横に振っている。
誰も、何が起きたのか理解していない。
「この……くそどもがー!」
起き上がり、もう、ゆっくり近づいて威圧する、などという方法は捨て去り、一気に間合いを詰めて斬る……斬ろうとしたのだが……再び滑って転んだ。
「ウゲッ」
さすがにここまでくると、誰も偶然だとは思わない。
騎士たち全員の目には、憎悪と共に恐怖も宿っていた。
目の前の冒険者たちに恥をかかされているのは事実。その憎悪。
だが理解できない何かが起きているのも事実。その恐怖。
その憎悪と恐怖が弾けようとした直前、
「はい、そこまで」
割って入った声があった。
声の主を、涼は知らなかった。
だが、ダンたちは知っていた。
「フェルプスさん」
声の主は、B級パーティー白の旅団団長フェルプス。
「何だ貴様は」
騎士たちの、憎悪に満ちた目がフェルプスを睨みつける。
「王国騎士団ともあろうものが、何をしている。恥を知れ!」
『叱咤』という言葉がある……大声を出して叱りつける。
最後の「恥を知れ」はまさに、叱咤であった。
騎士たち五人の憎悪は、一気に吹き飛び、怖れに取って代わった。
「ぼ、冒険者風情が、我ら王国騎士団に……無礼な」
それでも、言わなければならなかったのは、虚勢であろうか。
「黙れ! 冒険者も何も関係あるか。騎士なら騎士らしく振る舞え!」
まさにぐうの音も出ないとはこの事。
騎士たちは、言い返すことすらできなかった。
それでも、女の子の手を掴んでいた騎士、つまり何度も涼のアイスバーンによって転ばされた騎士だけは、何とか口を開いた。
「我ら王国騎士団にたてつけばどうなるか。この街のギルドマスターごと、王国から追放することもできるのだぞ」
ここまで追い詰められても言い返す……いっそ天晴である。
だが、反撃も激烈なものであった。
「確かに、私は冒険者だ。だが王国貴族でもある。我が名は、フェルプス・A・ハインライン。ハインライン侯爵家の次期当主である」
「ハインライン……」
「ああ、確か前王国騎士団長は、アレクシス・ハインラインだったはずだ。ハインライン侯爵家現当主。我が父だ」
その言葉を聞くと、騎士たちは雷に打たれたかのように震えた。
『鬼』と言われるほど苛烈であり、同時にその公明正大さは王国中に鳴り響いていた前王国騎士団長。
未だに、王国中枢への影響力は絶大である。
そんな人物の息子、しかも侯爵家の跡取りに睨まれたら……。
大きく震えた後、五人ともガクガクと震え始めた。
「王国騎士団の名を汚すな! 行け!」
『鬼の息子』、そう言われても納得できる威厳があった。
見た目は超絶イケメン貴公子なのだが。
五人が去ると、真っ先にダンが口を開いた。
「フェルプスさん、ありがとうございました」
それは、先日十号室の三人を見下ろしていた人物とはとうてい同じとは思えない、丁寧な感謝の言葉であった。
それにつられて、ダンの取り巻きも女の子も、お礼を言った。
「いや、気にするな。私もさすがに、あいつらの行動にはムカついたからな。ダン、だよな、よく行動した。さすが冒険者だ」
そういうと、破顔一笑、フェルプスは大きく笑った。
イケメンが笑うと、場も和む。
フェルプスの笑いで、完全に空気も柔らかくなった。
「さあ、その子を仲間の元に連れて行っておあげ」
そう言って、フェルプスはダンたちを中庭から送り出した。
そして、宿舎十号室の窓に向かって歩いてきた。
つまり、涼の方へ。
「やあ、こんにちは。君がリョウだろう?」
「あ、はい、初めまして。フェルプスさん?」
「うん、白の旅団の団長をしているフェルプスだ。アベルから聞いていたけど、本当に面白い魔法を使うね」
フェルプスは、ニコニコと笑いながら言った。
つまり、涼がアイスバーンで転ばせたのを分かっていたのだ。
「え~っと……」
「ああ、いや何も言わなくていい。私も何かを広めるつもりはない。少なくとも、騎士たちは勝手に転んだし、ダンたちも手を出してはいない。君のお陰だ。ルンの街の冒険者として、感謝する」
そういうと頭を下げた。
「いやいや、頭を上げてください。まあ、ダンとはちょっと因縁があったので、正直、素直に助けるのに抵抗があったから、ああいう方法をとっただけですから」
涼は頭をかきながら言った。
「アベルが言う通り、君は興味深いな」
「アベル、一体何を……」
「大海嘯の後の宴会でね。リョウがいればもっと楽だったのに。という言葉を、呪文のように何十回も言っていたよ」
その場面を思い出して、フェルプスはまた笑い出した。
「アベル……」
「いや、アベルにそこまで言わせるのは凄いよ。アベルが魔の山の向こうから帰還することができたのは、君のお陰なのだろう? ルンの街の冒険者にとって、もしアベルを失ったら、それは他とは比較できない損失だ。本当に感謝している。ありがとう」
「いえ……」
「団長、そろそろお時間が……」
いつの間にか、フェルプスの後ろに現れた副団長シェナが囁いた。
「ああ、そうか。リョウ、すまないな。また話そう。今日はありがとう」
そう言うと、シェナを引き連れて、フェルプスは去って行った。
「今のフェルプスさん、そして後から現れた女性、どちらも強いなあ。さすがルンの街、いろんな人がいる。でも……侯爵家の跡取りが冒険者とかやってていいのかな?」