0051
「何とか生き残った……」
戦闘で死にかけたのは……片目のアサシンホークとの戦闘以来だろうか。
とりあえず、図書館前広場で一人立ち尽くしていると目立つため、広場のベンチに腰掛けた。
(片目のアサシンホーク以来……そういえば、あいつは魔法無効化を使っていた。ベヒちゃんは魔法無効空間だった。そして今の悪魔、レオノールは手を振るうだけでアイシクルランスを消し去っていた……。32本だろうが、64本だろうが一瞬で……)
「痛っ」
左肩を痛みが走った。
レオノールの風槍が当たった場所である。
骨は折れていない。おそらく打撲であろう。
先ほどまでの戦闘が、決して夢などではなかったという証拠。
だがそれよりも、ローブに傷一つついていないことが驚きであった。
(このローブじゃなかったら、肩におっきな穴、開いてただろうなぁ……師匠に感謝)
涼は、心の中にデュラハンを思い浮かべ、感謝して頭を下げた。
(レオノールの魔法……あれ魔法だよね? とんでもない威力だったけど……でも、それよりもなによりも、あの移動速度……一瞬で突っ込んでくるスピード、一瞬で後退するスピード……多分、空間転移とかではなくって、風魔法的な何かだと思うんだよね……ブレイクダウン突貫的な……くっ、おのれ風魔法め!)
なぜか風属性魔法への風評被害に繋がりそうな涼の反省会であった。
(そういえば、時間切れって言ってたけど……)
日食はすでに終わっていた。
恐らく日食が関係するのだろうと勝手に結論付ける。
周りに多くの人がいるのに、あの空間にいたのはレオノールと涼だけであった。
(分からないことだらけだ。分からないことは、今は考えない! とりあえずやるべきことは、錬金術の本を買って帰るのと、帰った先で悪魔について情報収集……。いや、でもアベルすら知らなかったしなぁ)
ルンへの旅の途中で、涼はアベルに悪魔について知っているか聞いたことがあった。
だが、アベルの答えは、デビルは知っているが悪魔は知らない、であった。
(多分、アベルは貴族の三男とかなんだろうけど……そんな、いわゆる知識階級にいた人も知らないのだとすると、簡単には情報とか集まらないよね)
「とりあえず、本買って帰ろう」
宿舎十号室には、誰もいなかった。
十号室の窓からは、冒険者ギルドの屋外訓練場が見える。
「あれ? もしかして、まだ訓練してる?」
訓練場に何人かいる中に、十号室の三人がいた。
「疲れてなけりゃ、てめえらなんかボコボコにしてやるんだが……」
ニルスは悔しそうに言った。
そこには、打ち倒されたニルス、エト、アモンの三人と、それを見下ろす五人の男達がいた。
「ハッ! 負け惜しみも、そこまでいくといっそ清々しいな」
五人とも、宿舎一号室の冒険者達であった。
模擬戦か何かをして負けたのだろうか。
「不意打ちしておいてよく言う……」
エトが苦々しく言う。
「おいおい。じゃあお前らは、ダンジョンで魔物たちに、襲ってくる前にちゃんと一言言ってくださいとでも言うのかよ。今は疲れているのでやめてください、とでも言うのかよ。舐めたこと言ってんじゃねえよ」
一号室の男、ダンが馬鹿にしたように言った。
「全くその通りです。油断する方が悪い」
その声が訓練所に響き渡ると同時に、馬鹿にしていたダンを除く一号室四人の鳩尾に、氷の槍が突き刺さった。
もちろん、先を丸めてあるので、怪我はしていない。
四人とも悶絶しているだけである。
「なっ……」
「何が起こったか? 四人のお腹に氷の槍が当たりましたね」
そういうと、涼は訓練場に姿を現した。
「リョウ!」
地面に転がったままの十号室の三人が、異口同音に涼の名前を呼ぶ。
「貴様……」
「油断しちゃダメですよね。さっき、あなたは良いことを言った。襲ってくる前に一言言ってくださいとでも言うのかよ……言うわけないですもんね。全く……ニルスたちもたるんでますよ」
そう言うと、涼はまずエトにポーションを飲ませた。
神官のエトを回復しておけば、残りの二人も回復してくれるだろうと。
「面目ねえ……」
ニルスが小さい声を出した。
「まあ、朝からずっと走りっぱなしで体力の限界だったのでしょうから仕方ないですね。土日は、もっと体力強化をしないといけませんね」
「えぇ……」
三人の中で、最も体力のなさそうなエトの口から声が漏れた。
実際は、村から出てきたばかりのアモンの方が体力は無いはずなのだが……アモンは気合でなんとかしそうである。
「それで、そこで立ったままのあなた……」
「そいつは一号室のダンだ」
ニルスが涼に教えてやる。
「ああ、あなたがダン。どうします? 仲間を不意打ちでやられて、尻尾まいて逃げますか?」
「ふざけるな!」
そう言うと、ダンは剣を抜いた。
そして、勢いよく涼に斬りかかった。
(遅すぎる……)
大きく振りかぶっての唐竹割り。
涼は、左足を左前方に一歩踏み込み、重心をその左足に移動することによってかわす。
左手で、刃の出ていない村雨の柄を逆手に握り、ベルトから抜きざま、そのままダンの右わき腹に叩き込んだ。
ボクシングで言えば、リバーブロー……肝臓への一撃である。
しかも、きちんと下方から、足のひねり、腰のひねりを乗せて威力を増してある。
ダンの革の鎧では衝撃を吸収できなかった。
「……グハ」
ダンは崩れ落ち、地面に転がって悶絶した。
(鎧着てたから素手は痛いだろうと思って村雨の柄で叩いたけど……ボクシングのとはやっぱり違うなぁ……手首のかえしが違うだけで、こんなに変わるのか)
涼は、悶絶するダンなど気にせず、パンチの検証をしていた。
「あれはつらい……」
ニルスが、さすがに哀れんだ目で地面に転がるダンを見た。
「さっき、僕、ちょっと死にかけまして……まだその興奮が冷めてなかったみたいですね」
それを聞いて驚く十号室の三人と一号室の四人。
ダンは、そんな言葉は耳に入らない状態である。
「そうだ、エト、ついでに僕の肩も治療してもらえますか」
涼はそう言うと、エトに左肩を見せた。
「これは酷い! 骨は折れていないけど……すごい衝撃を受けたのがわかる……というか、心臓だったら危なかったでしょう、これ」
そういうと、エトは回復魔法をかけた。
「母なる女神よ その癒しの手を差しのべたまえ <レッサーヒール>」
またたく間に打撲の跡は消えていき、同時に痛みも消えた。
「心臓に向かってきた攻撃をギリギリかわして、こうなったのです……生きててよかった」
「何と戦ったの!」
ニルス、エト、アモンは同じ疑問を叫んだ
魔法使いのくせに、体術で剣士を圧倒する涼が死にかけた相手……。
「今度、機会があったら話しますよ」
涼はにっこり微笑んで話を打ち切った。
(レオノールには追い詰められ、F級冒険者には一方的な力を見せつける……カッコよくないですね……)
地面には一号室の四人と、悶絶しているダンが転がったままであった。
ニルス、エト、アモン、そして涼の四人は、いろいろあって非常に汚れたので、みんなで公衆浴場に向かっていた。
さすがに各家庭に風呂は無いが、街中に公衆浴場が数十か所ある。
民間経営の、銭湯みたいなものである。
これも、街の北側に大きな川があり、そこから引いてきた水を使った上水道、さらに歩道の下を通る下水道が整備されているからこそ出来ることであった。
完全に中世都市を超えている……涼はそう思っていた。
「リョウありがとうな。お前さんが来なかったら、ダンたちに馬鹿にされたまま終わるところだったわ」
「それにしてもリョウさんの動き、凄かったですね! 魔法使いなのに」
「アモン、最近の魔法使いは、これくらい出来るものなのです」
「いや、そんなわけないだろ」
アモンが感心し、涼がボケて、ニルスが突っ込む。
それをクスクスと声を押し殺して笑うエト。
涼が図書館前広場で遭遇したことなど、何かの間違いかと思えるほど、平和な日曜の午後であった。